『ぶれない軸足』

鉢村 健

●「酉の市」の時期が近づくと、かつて能楽師観世栄夫さんとご一緒した浅草の帰り道を思い出します。熊手を担ぐ先生に「能役者で最も苦心することは」と尋ねたら、ぐっと睨まれて「面を上下させず歩くこと」と仰いました。「上体を動かさない」とのシンプルながらも凝縮された言葉に深い感銘を受けました。

●振り返れば日本社会はバブル崩壊の後、沢山の精神的な拠り所を失いました。自信喪失から身の丈をかがめ、日本的な価値観よりもグローバルスタンダードを追求するようになりました。短期的成果主義や株主資本主義が会社の評価制度として定着し、政府や自治体にも蔓延しました。更に教育現場や病院経営まで浸透してしまったことは深刻です。世の中には長期間を要する人財育成やカネで計ってはならない価値や命があります。日本では「失われた30年」の犯人捜しが今も続きますが、真因は我々の自信喪失と委縮にあるのです。

●時が経ても壊してはならない共通の価値観や原理原則があります。誰かに都合の良い利権や独占的勝利は社会をゆがめます。しかし、二度の世界大戦と東西冷戦を経ても地域紛争は止まず、世界の難民者数は1.2億人を超えてしまいました。その4割は何の罪もない子供達なのです。民主主義であれ権威主義であれ、政治体制を問わず人間が守るべき「善悪の尺度」が狂っている。

●セカンドステージで学ぶ学生の皆さんはこうした激動の時代を生き抜き、夫々に積み重ねた経験と知識を既にお持ちです。多種多様な背景は学生も教員も共に学ぶ中で知的活動の水準をさらに引き上げることでしょう。

●観世先生は反逆児と呼ばれましたが、それでも尊敬されたのは「軸足がぶれず」本物の伝統を追求したからです。

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編集チーム 十七期生