『鬼滅の刃』
野田 研一(RSSC本科ゼミ担当教授)
この夏、『鬼滅の刃』の新作が映画館で公開されました。
別にファンでもなく、アニメとしてはずいぶん古典的な手法の作品で、しかもその内容が日本的なものかどうかを問われれば、それもまたどうかと思うような作品です。最新のアニメが見せる前衛性や先進性に較べれば、劇画的な視覚効果や効果音を使った、紙芝居的な画像表現だと考えていました。
で、そのような判断は的外れではないと思いつつも、なぜこんな紙芝居的な、まるで時代を逆行したような作品が受けているのか、不思議でした。新作公開のニュースを見かけ、そうこうしているうちに、夏休みに入ってわが家に遊びに来た孫娘が、滞在中に『鬼滅の刃』の新作を観たいと言い出しました。幸い、近隣の映画館で上映が始まっていましたので、孫を溺愛する私としては、即座にオンラインでチケットを購入したのです。
かなり混んでいることを予想していましたが、都心の映画館ではないせいか場内は閑散。子どももほんの数えるほどで、老夫婦がわが家を入れて3組程度、若いカップルが1組程度といった感じで拍子抜けでした。私は映画館ではたいてい一度眠ってしまう習性(?)があります。そんな次第ですから、大抵の映画は最低二度観に行かないと全体像が把握できないのが通例です。案の定、この場合もうとうと。隣で家内や孫がつつくのですが、この眠気には抗えません。
というわけで、今回もストーリーの全体像はまったく掴めておりません。が、一つだけ心が動いた場面がありました。その場面に見入りながら、なるほどこれがこのアニメの魅力なのだなと独り合点していました。「知覚の惑乱」という言葉を思い浮かべながら。
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