「横浜歴史散歩」

 2025年12月、時折り暖かい日差しの感じられる初冬の一日、加藤先生と加藤ゼミ、千石ゼミのメンバー9人が馬車道駅に集合した。今回は「古き街並みをたずねる」シリーズ第6回目として加藤ゼミ、千石ゼミ合同で横浜ベイエリアを散策した。テーマは「街並みと建物から見る横浜の歴史」。

 1853年のペリー来航、1859年の横浜開港そして慶応大火、関東大震災、横浜大空襲と三度にわたる災害と復興の歴史がこの街にはある。また明治から昭和初期にかけて生糸輸出貿易により港町の発展に貢献した銀行、業務施設、港湾施設など多くの建造物が現代まで受け継がれ、横浜らしさを演出している。戦後進駐軍による接収が他の都市(沖縄を除く)より長く続いたこともあり、歴史的建造物が多く残存された。それら古い建造物を歴史的遺産として大切にしながら都市づくりが進められ、東京とはひと味違う現代都市ヨコハマとなった。

 横浜の街を代表するメインストリート日本大通りは慶応大火の後、イギリス人技師ブラントンにより防火帯としてつくられ、その大通りが広さそのままで受け継がれ、今では銀杏並木が美しい市民の憩いの場となっている。

 横浜の建築を見るうえで知っておくべき明治の建築家は妻木頼黄と遠藤於菟の二人である。妻木はドイツ留学を経て大蔵省にて活躍した官僚建築家。横浜での代表作は横浜正金銀行本店(現県立歴史博物館)、赤レンガ倉庫がある。遠藤は日本の鉄筋コンクリート構造の先駆者として活躍し、生糸検査所(現第二合同庁舎)、三井物産横浜ビル(現KN日本大通りビル)を設計した。いずれの建物も明治から昭和にかけて街の発展を見続け、現代まで受け継がれ、その歴史的外観は街並みに風格を添えている。

 散策の一行は2時間半の行程の最終地点となる横浜公園で今が見ごろの紅葉を愛で、中華街をゴールとした。

加藤ゼミ(千石ゼミ):佐藤勇一

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編集チーム 十六期生