少し前のKiss投稿に「暇ではあるが、退屈ではない」とありました。全くその通り!同感です。時間がたっぷりあるのは実に贅沢で、些末なテーマに時間をかけてみたり、興味あるイベントに出かけたり、レポートやいろいろな纏めを書いたりと、退屈ではありません。

本を読むこともそのひとつです。いつも硬軟併せて3-4冊を併読していますが、隙間時間に読む文芸・エンタメ小説類の過半は図書館で役目を終えた元蔵書です。大学図書館は“あげます本”、区立図書館は“リサイクル資料”と名づけられています。

“捨てられるなら読んであげよう!”と上から目線で手に取る破棄前の図書ですから、読了すると作名・題名・内容のほぼ全てを忘れてしまいます。しかし、時々発見があります。この夏、続けて読んだ2冊のリサイクル資料(図書)は『婦人公論』連載小説でした。“なるほど、これが『婦人公論』の読者層が好むストーリーかぁ…”と知らない世界を覗き込んだ気持ちになりました。

その次に読んだ“あげます本”では、ドイツ人女性ジャーナリストが日本人男性翻訳者に「あなたは30代にもなって、心と魂の違いが分からないの?!」となじる場面に出会いました。“心と魂の違い?!”、“確かに心には欲望や嫉妬がおきるけど、魂には欲望も嫉妬もないなぁ…”と。 これに関心が高まり、たっぷりある時間を使ってネットで調べてみました。

「心」のGoogle英訳の一番目はheart、独語訳はherz。いずれも語源は心臓を表す言葉で、何かの理由で心臓がどきどきするのが「心」だそうです。heartは主に感情を表し、心の英訳ふたつめのmindはインド・ヨーロッパ語族の<men->という語根に由来し、記憶・思考など頭の働きを示すとのことです。

一方の「魂」の英訳はsoul、独語訳はSeele。ともに古英語<sawol>や古ノルド語<sála>に遡り、人の身体と対比される意識や思考、感情、意思などの源と考えられる無形の実体を表す言葉だそうです。また、『常用字解』(白川静著)では、漢字「魂」のつくり“云”は雲気(雲の様にもやもやしたもの)を表し、へん“鬼”は死んだ人の人鬼で霊界にあるものとされ、他の辞書の一節には「生きものの体の中に宿って心の働きをつかさどると考えられるもの。古来、肉体を離れても存在し、不滅のものと信じられてきた」とありました。

心は身体と響き合い絶えず揺れ動くさざ波のようなもので、魂は肉体とは次元が異る その人の基底となるもの。“三つ子の魂、百まで”という言葉を思い浮かべると心と魂の違いがなんとなく理解できるように思いました。心身はその人の生と共に終わりますが、魂はそうではなさそうです。なんだか、気持ちが前向きになります。

偶然手にした“あげます本”のお陰で、”ひとの一生とは、魂が受肉し、心身を持ち、人生ドラマを演じ、再び魂に戻ることかもしれない”とか“魂本来のあり様を釈迦は「仏」、イエスは「愛」と説かれたのでないか”などと愚考していると時間がどんどん過ぎていきます。“すると「霊」は魂と心身の中間?!。思想・芸術・古典芸能やSF・ファンタジーなどで魂・心身・霊について確認してみたい!”と俄然興味も湧いてきます。ありがたいことです。
(7期生 杉村)

※右上写真:宝誌和尚立像(出所:ttps://www.kyohaku.go.jp/old/jp/theme/floor1_2/f1_2_koremade/scu_2018121)
 ※右下写真:能「葵上」 (出所:https://www.nohgaku.or.jp/guide/commentary_aoinoue)

<<Kissの会は、RSSC同窓会ホームページへの投稿サークルです>>
【Kissの会 連絡先】         kiss7th.rssc@gmail.com 
【投稿履歴/Kissの会 webサイト】https://rssc7thkiss.jimdofree.com/

この記事の投稿者

編集チーム