今から二十余年を遡る。雪の舞う夜であった。出張先の福岡市での商用を終え、酔いを帯びた足取りのまま市中を逍遥していた折のことである。大名の一角、裏通りの小路へと興味に導かれるまま踏み入ると、ある小料理屋の外壁に設えられた小窓から、ほのかな燈がこぼれているのが目に留まった。

おそるおそる覗き込むと、カウンターに連なる人々が盃を傾け、静かに笑みを交わす光景が、一幅の絵のように浮かび上がる。そこには一見の客を拒む空気が、たしかに漂っていた。それでも、ほろ酔いの勢いが背を押したのだろう。意を決し、引き戸に手をかけた。
                (この小窓がなければ・・・→)

女将らしき人が、カウンター越しに鋭い一瞥を投げる。だが次の瞬間、そのまなざしはやわらぎ、「いらっしゃいませ」と軽やかな声が店内に満ちた。新参者を迎え入れる基準はいかなるものか。後年、私はその問いを彼女に向けたが、「企業秘密」と微笑むばかりで、答えはついに明かされなかった。

これが、三月末をもって暖簾を下ろす小料理屋「H」との馴れ初めである。以来、故郷の福岡へ帰省するたび、ほとんど一人でその戸をくぐるようになった。例外は、帰国中の娘夫婦や、気心の知れた友人、そして県立高校時代の同窓生を伴ったときくらいである。今年二月、その同窓生と帰国中の娘を連れ、私にとって最後となるであろうHの夜を共にした。Hの常連のひとりで、私が最もよく酒を酌み交わしてきたJ女史の姿もそこにあった。

女将は私より明らかに年長である。それ以上の来歴は知らない。しかし、聞き上手にして語り上手、そしてその手料理は玄人を思わせる冴えを湛えていた。彼女は何者であったのか。

その答えは、店に集う常連たちの顔ぶれを眺めれば、おのずと浮かび上がる。私淑する哲学者、内山節が説く「関係性の総和」という概念――人は閉じた実体ではなく、周囲との関係の束のなかに開かれた存在として立ち現れる、という思想――を思えばよい。(←コ字のカウンター席

芸術家、インテリアデザイナー、商店主、実業家、会社員、首都圏からの移住者も少なくない。履歴も世代も異なる人々が、女将との関わりを通じて博多をより深く理解し、この街を愛でるに至った。その結節点として、彼女は存在した。常連の多くは私より年長で、私は相対的な若輩として遇された。だが、そこで交わされる対話は、私の経験を軽々と越え、未知の地平へと開かれていった。

社会学者グラノヴェッターが提唱した「弱い紐帯の強さ」は、その感覚を言い当てる。親密な友との強い結びつきよりも、ゆるやかな縁――異質な他者との関わり――こそが、新たな情報や思いがけぬ展開をもたらすという洞察である。同質的な集団は安寧を与えるが、そこに化学変化は起こりにくい。Hは、理論を追体験する場でもあった。これほど人に教えたくない場所は他にない。

だが逆説的に、私ひとりでは、この心地よさは成立しない。Hは、私にとって至高の「サード・プレイス」であった。社会学者オルデンバーグのいう、家庭や職場とは異なる第三の居場所。家族の長でも、社員でもない、ただの一人の人間として在ることを許される空間。役割から解き放たれ、静かな充足に浸ることのできる場所。それが、あの小さな店の効用であった。

この日は同伴した同窓生が好むシャンパン、ヴーヴ・クリコを持ち込んでいた。期せずして、それは女将の「退職祝い」への乾杯となった。ビールでも日本酒でもなく、泡立つその一杯こそが、節目の夜にふさわしかった。      (いつも気になっていた虎の絵画→

J女史はいつも通り3合の日本酒を飲み終えると家路についた。別れ際には涙するはずであった。だが、店先まで見送ってくれた女将の顔を前にしたとき、胸に満ちたのは哀惜よりも、別れの儀式を無事に終え得たことへの感謝であった。雪は降っていなかった。

それでも、あの夜と同じように、胸の奥で静かに何かが舞っていた。(7期生 黒田豊彦)

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