私はほぼ途切れることなく、新聞を購読している。 最近は新聞をとることは「ボケ防止と安否確認」の目的も兼ねている
長引く国際紛争、トランプ大統領の傲慢さ、旧態依然の自民党政治などなど、新聞に目を通したくない気分になることもしばしば。また、朝刊だけで月4,600円という金額は、年金が主たる我が家の家計にとって決して小さい数字ではない。それでも新聞を継続してとっている。
それは何だろうと考えた時、アナログな紙面の活字を通しての“やさしさ”に出会えるからではないか。10月下旬の投稿欄を読んでいて、そうと気付いたのである。その投稿は次のような概要であった。投稿者は13才の男の子。
<おじいちゃん、弁当作りに初挑戦>
・中学生になった僕の帰りを毎日お風呂をわかして待ってくれている90歳のおじいちゃん。ソフトテニス部の試合があった9月の土曜日、おじいちゃんは、はじめてのお弁当作りに挑戦してくれた。おじいちゃんの手で巻いてくれたヒレカツ巻きは最高だった。
・太いヒレカツの巻きずしで、巻いたものを輪切りにしてあった。地元でとれたのりの香りと、じゅわっと揚げたヒレカツに地元のお米。おじいちゃんはなるべく地元の食材を使って料理をしている。僕はおじいちゃんがいてくれて幸せだ。お礼に夜、おじいちゃんにお茶をいれる。その時、僕はおじいちゃんと一緒にいるこの時間が特別なものなのだと感じる。
・ふつうの僕と90歳のおじいちゃんとふつうの毎日。僕の幸せはおじいちゃんがいること。一緒に生きるということ。これからもずっとこんなふつうの毎日がつづくということ。 云々
この文章から、パソコンやスマホの画面ではなく、新聞を手に取り 刷られた活字を通して “ぬくもり・あたたかさ”が感じられると思うのは私だけ、だろうか。
新聞各紙によって異なるとは思うが、昨今の新聞購読者の6割以上が60代となっている様である。特に70代の7割ほどの人は新聞を購読しているとのこと。1昨年より「天声人語」の書き写しを日課としている。字を書くことが大変少なくなっている生活の中で、字を忘れる、書けなくなってしまうという危機感でから始めたことである。つい、ざっと目を通して読みがちであるが、書きながら読むというのは何かじっくりそのテーマに入り込める気がする。
今年1月には朝日新聞本社で行われた、天声人語の担当記者の講演会に行ってきた。大体、天声人語はその日のテーマと、落語のまくらのような前書きで出来ている。その前書き用に日頃、記者の方々は様々な資料を集め引き出しを作っているとの話があった(講演会中にその記者の自宅の様子が画面に映されていたが、物凄い量であった)。新聞はそのような人達の日々の努力、熱意、使命感によって支えられているのだと痛感した訳である。
将来、今以上にAIやIT技術は進化していくことだろう。 そして効率の悪いアナログなものは排除されていき次第に無くなっていってしまうのではと危惧している。そんな世の中が人にとって本当に幸せなのか、疑問である。
最後に “こんな可愛い孫が欲しかった!!” と独り言。(七期生 松田 勝子)
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