<テーマ>
健康な人もハンデを持った人も何時までも共に暮らせる「ねむの木村」をたった一人で立ち上げた宮城まり子さんの思いに触れる。
<行 程>
28日:東京駅⇒掛川駅⇒掛川城(天守閣、二の丸茶室、御殿)市内見学後ホテルへ
29日:ホテル⇒ねむの木村訪問
ねむの木学園の方からの概要説明、学園内の施設見学、お茶のお稽古への参加⇒森の喫茶店MARIKO(ランチ)⇒吉行淳之介文学館⇒ねむの木こども美術館⇒バス⇒掛川駅⇒東京駅
28日は秋晴れのなか掛川城の天守閣まで皆元気に上り、ボランティアガイドの方の説明を聞き、吹き抜ける風の中四方に広がる山並みを楽しんだ。その後二の丸茶室でお茶をいただきながら静かなひと時を過ごし、更に当時の大名の生活が偲ばれる御殿も見学した。しかし市内は本当に人通りが少なく、地方都市の現状を垣間見た思いであった。
夕食時のミーティングでは、宮城まり子さん、吉行淳之介さん、掛川出身で東京女子医大を創設した吉岡弥生さんについて調べてきたことなど話し合い、延いては自分自身の人生経験まで話が及び、時間を忘れ賑やかな時を過ごした。
翌29日は元会員で現在静岡県に居住の方も合流してねむの木村を訪問した。山間におとぎの国を思わせるような佇まいで点在している暖かい色の建物、金木犀の甘い香りや季節の花々、優しい職員のみなさんに迎えられた。ねむの木学園は、宮城まり子さんの「障害をもったこどもたちに生活・教育の場を」という願いの下、昭和43年に日本で初めての肢体不自由児のための養護施設として開設(当初小笠郡浜岡町)された。「だめな子なんか一人もいない」との信念を貫き、自由で柔軟な教育を実践、こどもたちのさまざまな才能を引き出している。まり子さんは更に温かな家庭的環境、豊かな自然環境と美しい景観の下での養育を目指し、こどもたちにありったけの愛と忍耐をもって尽くしてこられた。
現在60名を超える教職員の殆どの方が宿泊され、入所者70数名の方たちを支援している。「やさしくね やさしくね やさしいことはつよいのよ」というまり子さんの思いは、施設内の隅々まで感じられ、とても居心地のよい空間であった。
この日は10月25日に予定されている運動会の練習の一端であるお茶のお稽古に参加させていただいたが、丁度まり子さんも着物姿で車椅子に乗って入ってこられた。明るく広いホールに静かなピアノの音色、小鳥の囀りが流れるなか、まり子さんが「もう秋です!小鳥も鳴いています。これからお茶をいただきましょう。」と静かに語りかけると、毛氈の上に袴姿で正座していた生徒さんが「お茶を一服差し上げます」と丁寧な挨拶をされお手前が始まった。他の方たちも着物に身を包み流れるように見事なお手前を披露してくださった。1時間近いなか、周りのこどもたちも騒ぐことなく静かに見ていて、茶道を通してきちんと心の教育がされていると感じられた。
その後まり子さんたちとお別れして、森の喫茶店「MARIKO」でランチ、道を挟んで斜め向かいにある落ち着いた趣の吉行淳之介文学館を見学した後、ねむの木こども美術館へ行った。誰からも強制されることなく自分の思いのまま色彩豊かに描かれた絵が展示されていて、何時までも眺めていたい衝動に駆られてしまった。
この度のねむの木学園への訪問は、私たちに本当の教育、こどもたちの尊厳ってなんだろうと改めて考える機会を与えられたように感じた。そして大人が押し付けないとこどもたちはこんなに伸びやかな絵が描けるのだとも・・・・・
私たちの訪問に際し、ねむの木学園の方から途中の山道を心配してマイクロバスを出してくださったり、他の見学グループと別にゆっくりお茶のお稽古を見学させてくださったりと細やかなご配慮を賜わり有り難かった。
心身のハンデにもめげず、明るいねむの木村の皆さんたちが末永く心豊かな生活がおくれますようにと祈りつつ・・・年1回の今年の合宿は無事終了した。
*関係図書:『時々の初心・ねむの木学園の40年』『まり子のねむの木45年』
『画集ねむの木の詩』『まり子の校長日記』『ねむの木のこどもたち』
『淳之介さんのこと』他多数
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