『文人が暮らした坂の本郷界隈を歩く』散策ツアー
6月17日(土)10時20分、RSSC4期生会イベント“文人が暮らした坂の本郷
界隈を歩く“には、丸の内線本郷三丁目前に29名が集いました。案じていた直前
の辞退者はなく定時には、参加者全員が顔を揃えた訳です。わけてもこの日の為に
上越方面の遠路から上京されたご両人には、感謝でした。
そして梅雨の晴れ間というより季節外れの恵まれ過ぎた好天がいざない一同皆、これ
から散策コースへ踏み出す茫漠としたワクワク感を共有しました。
ガイドさんが2名、サポーター役1名が同道し、ニ班に分かれて引率、いざ定刻の
スタートとなりました。
かねやす・石川啄木旧居跡(喜之床)・大クスノキ <10:30~10:55>
“かねやす”は江戸時代の享保年間(1716~36)に開業し、当時は歯磨き粉を売
り繁盛したという正に老舗。いつも祭りのように客が群れたという伝承が、現在も位置
する本郷通りの喧騒に脈々と呼応していました。
“喜之床”は、往時を偲ぶには疎く、今は、春日通りに面して理髪店が営業の只中、横
目に通行人を遣り過しました。
脇道に折れるや一際、偉容を放つ“大楠木”に出くわしました。暫し一同は、樹高・
20メートルを仰ぎ観て異口同音に感嘆しました。推定年齢600年。あの司馬遼太郎
が『都心にこれだけのクスがあろうとは、思わなかった』。と小品に著していました。
↓
文京ふるさと歴史館 <11:00~11:40>
「台地と坂と水、そして暮らしの舞台」を基本テーマに平成3年4月に開館しました。
太古に遡及する弥生式土器の出土で高名な土地柄です。この文京区の近世:江戸時代から
近代:明治時代にかけて時系列的に豊富な歴史、文化資料を展示してあります。
とりわけ歴史への時間旅行―火事と喧嘩は江戸の華―何故か江戸の火消し纏、シンプル
な消火車輌などの展示物を前に関心が集まり参加者とガイドさんとの質疑回答のやり
とりが印象的な一コマでした。同館には今回、行程上の時間的な都合があって一見する
に止めるには惜しい展示内容が揃えられており再訪したいスポットに間違いありません。
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坪内逍遥旧居・常盤会跡 <11:45~11:50>
当該地は、往時を止めているものはありません。逍遥は、明治17年(1884年)炭団(たどん)坂に住んでいました。眼下、坂の下のこんもりした風景をワシ掴みできるかのような崖淵のロケーション。近代文学の狼煙が上げられた所でした。
同じ町内に寄宿舎「常盤会」には、正岡子規も入寮していました。
子規の発句が残っていました。
ガラスの外面に夜の森見えて
清けき月に鳴くほととぎす と
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旧伊勢屋質店 <12:05~12:25>
万延元年(1860年)の創業、江戸幕府が日米修好条約の履行として米国に使節団
を派遣したのもこの年でした。
樋口一葉の御用達の質屋。平成27年文京区指定有形文化財であり跡地を跡見女子大
学が取得。不定期な開扉ながら6月17日(土)は、店内見学、内覧が適う日でした。
事前に情報を把握していましたので今回のイベントコースの目玉にしました。
建物は、幾度かの修繕がなされていました。店世(店舗兼住宅)土蔵(金庫)座敷(住居)が現存していました。通常は、同行するガイドさんが店内を説明案内するものの、この日は、同大学スタッフが直々に丁寧なナビゲーションをされました。帰り際にスタッフの一人が『今日は先生(RSSC創設の功労者の一人、笠原立大名誉教授、現在は、跡見女子大教授に奉職中)は、ご一緒ではないのですか?』と訊かれました。
笠原先生のネームバリューのお蔭をもちまして、特別な扱いを受けました。
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宮沢賢治旧居跡<12:25~12:30>
宮沢賢治旧居跡は、平成2年末まで残っておりましたが、今は当世風に近代的な建物
に建替えられていました。その外観を遠目に眺めました。大正6年6畳一間、馬鈴薯と水という生活。その様子を思い描くには、余りに彼我のギヤップが有りすぎました。
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菊富士ホテル跡<12:30~12:35>
明治~大正~昭和にかけ数多の文人、墨客が止宿していました。あの昭和20年の東京大空襲で炎上。当該敷地隅にかつての主だった投宿者の名前が刻まれた石碑が静かに佇んでいました。 ↓
赤心館跡・徳田秋声住居<12:43~12:45>
ガイドさんの口上を傍聴しつつ外観を横目に往来者を遣り過ごしました。前者は、石
川啄木が下宿して執筆に没頭したといわれ、後者は、今も住居として現存し徳田家係累の方が住まわれております。今は保存に努める姿勢から容易に中は、見学することはできません。 ↓
東京大学赤門、構内<13:05~13:10>
今回のイベント企画・立案を温められ実施に向けて注力された平澤筆頭幹事、赤木、 大堀の輔弼役は、去る3月24日に予定コースの下見を実施しました。同日は東大卒業式の日。人生晴れの日にタッセルが垂れる角帽を被ってガウンに身を包む子息、晴れ着、袴姿の子女と肩を並べて映る誇らしげな親御さんの記念写真。競うように賑々しいものでした。
本日は、その同じ場所:赤門を背にして激動の人生行路を歩んできたRSSCのシニア集団29名が生き生きとして集合写真に収まりました。 ↓
締め括りは、同大キャンパス医学部研究棟内高層階にあるイタリア料理店 でのランチでした。象牙の塔にふさわしいアカデミックな雰囲気が館内に漂い実際、昼飯時でもあり講義を終えた教官風の人達が粛々と食事する席を傍らにこの日、無事に所定の行程を勾配のきつい坂、難所を克服してきた満足感に浸るテーブル席は、食事、歓談にと大盛り上がり楽しい時間を分かち合いました。そして次回、9月に東北大震災復興の一助にと銘打ったツアーイベントでの再会へと引き継がれる余韻が力強く、脈々と打たれていました。
そして、皆さん、満面の笑みを浮かべてそれぞれの家路へつかれました。素晴らしい一日、御疲れさまでした。 ありがとうございました。
擱筆
(文責;大堀)
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