ブリューゲル「バベルの塔」展  (ボイスマン美術館所蔵)

7月2日まで 東京都美術館 月曜日 休館 1600円 65歳以上 1000円

 

ピーテル・ブリューゲル一世 

1526年または1530年ごろベルギ―北部の農村に生まれたと言われるが、詳しい生年や生地は分かつていない。アントワープで画家となるための修業。はるか遠くを見渡す壮大な風景を表現した、版画の図案で頭角を現した。

奇妙な怪物たちが登場する聖書の地獄絵図や、寓話の世界の図案で名声を得る。晩年は絵画制作に注力。 農村や市井の人々の暮らしを生き生きと描いて「農民画家」とも言われた。

「バベルの塔」は好んで描いた題材の一つ。ウイーン美術史美術館所蔵の油彩画と、現在は失われてしまつている小品の3点を制作したと言われている。

 

絵が制作された背景   旧約聖書『バベルの塔』の物語

かつて世界中の人々は同じ言葉を使って、同じように話していた。シンアルという地に住み着いた人々は、レンガとタールで天まで届く塔を建て,町を有名にしようと試みる。

しかし、その野心は神の怒りに触れる。人々が一つの言葉を話している為にそのような企てが可能になったと考えた神は、人々の言葉を混乱させ、互いの言葉を理解できないようにしてしまう。意思の疎通が出来なくなった人々は散り散りになり、ついに塔は完成しなかった。旧約聖書の「バベルの塔」の逸話は、人間の高慢と神の戒めの物語であると同時に、なぜ世界にはたくさんの言葉が存在するのかという、世界の成りたちを説明する物語とも考えられている。

特 徴

ブリューゲル以前にも、多くの画家がこの旧約聖書で有名な逸話に挑戦した。しかし高層ビルが存在せず、巨大な建物が少なかった時代に「天まで届く塔」をイメージすることは簡単ではなかった。はるか水平線まで広がるパノラマを背景に、黒雲を貫く巨塔を画面いっぱいに配置したブリューゲルの構図が、優れた想像力によって生み出されたのかが分かる。細部の精密な描写だけでなく、大胆な構想によって、傑作「バベルの塔」(1568年ごろの作)は生まれた。

・1400人描きこむ超絶技巧

・作品1568年ごろ 油彩 板 59.9×74.6センチ

・神の怒りが強風となって塔を崩壊させる様子を描く画家もいるが、ブリューゲルはむしろ物語の途中である塔の建設現場を描く「神の怒りよりも、人間が挑戦する場面を選んでいる」

・東京芸術大学COI拠点が制作した精巧な拡大した複製画が展示されている(必見)

奇才 ヒエロニムス・ボスの作品 2点が展示されている。

この記事の投稿者

八期生