清里との出会い
人生は出会いの連続だ。どの出会いが生きることへの大きな意味を持つかは、出会ったときには分からないこともある。これは人との出会いにも言えるが、場所との出会いにもあてはまる。
清里との最初の出会いは、小学6年生の林間学校だった。おぼろげな記憶のなかで今でも残っているのは登山と二段ベッド。両方とも初めての体験だった。こんな風だったので、清里という地名さえ長く忘れられることとなった。
それから40年近い時が流れ、私は立教大学の教員として忙しい日々を過ごしていた。独立研究科として異文化コミュニケーションの大学院が創設されて間もない頃、合宿教授会をすることになった。場所は清里の清泉寮だった。会議室の窓越しにのぞむ白銀の八ヶ岳、ポール・ラッシュの銅像が見つめる富士山、緑の訪れを待ちわびる牧場、時を忘れて見入ってしまう暖炉の炎にすっかり心を奪われ、「新入生オリエンテーションを清里でしましょう」と発言していた。定年で辞めるまでの10数年、折に触れ学生たちと清里の豊かさを享受する恩恵に浴してきた。
清里との出会いはこれだけでは終わらなかった。「清里の森」に終の住処が完成してはや5年が過ぎようとしている。学期中には、なかなか晴耕雨読の生活とはいかないが、都会の暮らしとは全く違う新しい時間の使い方を模索する日々がある。
平賀正子
立教大学名誉教授
「専科ゼミ」担当
写真は「吐龍の滝」(北杜市)にて
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