8月13日、迎え盆の長男の役割として、実家のある栃木県小山市の菩提寺に車を走らせた。来年は父の七回忌、祖母の三十三回忌など法事の当たり年なのだが、どうするかはまだ思案中である。
街の西側を流れる思川の橋を渡れば目的地はすぐそこだ。幼い頃はこの川で泳ぎ、送り盆にはこの河原から灯篭を流した。やがて水の事故や水質悪化の影響から泳ぐことも灯篭流しもできなくなったが、釣りやボート遊びなど、ここが私のワンダーランドであることに変わりはなかった。ワンダーランドの教師である父親は特にボートを漕ぐのが巧みだった。母親に尋ねると「海軍さんだからね」
親父は特攻隊員だった。8月15日(終戦日)に特別な思いを持っていた男だった。多くを語らずこの世を去ったが、残した俳句に終戦の文字が目立つ。七つボタンの正装に身を包み、かしこまった表情の写真を私がタンスの奥から引っ張り出すと、親父は少しはにかみながらこう言った。
「それかぁ~、戦時中の葬式用の写真だぁ」
「まぁ、オレが死んだら、青森:三沢沖の太平洋に散骨してくれ……」
散骨の話は案外本気だったのかもしれない。墓前に立つと改めてそう思う。おそらく今頃は太平洋上の風となって、眼下の雲を眺めていることだろう。
「まぁ、お盆なんで、ちょいと戻ってくるかい。ひとっ飛びさ!」
6月から「良く生きるための哲学講座『名句の哲学』」(講師:立教大学名誉教授 高橋輝暁先生。主催:ユリイカの会)を受講している。第2回講義のテーマは古代ギリシャの哲学者:アナクシメネス。彼は『万物の源は気である』と主張した。 “気”とは空気、息、呼吸、風、魂、精神などを意味する。そして、この意味はヘルダーリンからシェリングを経てヘーゲルに至るドイツ観念論哲学の中心概念としての「精神」へと受け継がれていったとのことである。
以上は講座の受け売りなのであるが、そういえば、宮沢賢治の童話の“風”も魂をのせて“どう”と吹き、「千の風になって」の詩も広く知られるところとなった。風に魂を感じるのは古今東西共通の概念なのかもしれない。また、「良く生きる」とは少なくとも「生きることについて考えながら生きること」であると多くの哲学者や賢人たちが述べているようだ。では、身近な存在だった親父は「良く生きた」といえるだろうか。
放心の 隅に安堵や 終戦日
親父が60代後半に詠んだ句である。終戦後に結婚、一男一女を儲けて孫三人にも恵まれた。頑固で几帳面な職人肌の男だった。88歳で天寿を全うするまで「拾った命、さてどう生きるか」と考え続けたのは間違いない。60代後半から一日も欠かさず日記をつけ、その時々の出来事や思いを綴り、年末には1年間の総括を書き残していた。まさに「良く生きた」証しではないかと思えるのである。
西田幾多郎の言葉に「折にふれ物に感じて思い出すのがせめてもの慰藉である、死者に対しての心づくしである」とある。おかげさまで、今年のお盆は例年になく丁寧な供養ができ、ご先祖様に胸を張ってもよさそうだ。「良く生きるとは」という問いへの私なりの答えについては、慌てずにたっぷり時間をかけて考えることにしよう。『名句の哲学』講座も残り3回。どんな気づきがあるか楽しみだ。(7期生 石巻)
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