RSSC10期生
今井敏晴

 学ぶことの贅沢さと尊さをRSSC本科で知った私は、1年間就業した後に専攻科を終えた数名とともに立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科に進みました。RSSCから大学院に進まれた方は多数いらっしゃるなか、先輩方を差し置いて僭越ながらも、私が進んだ大学院とは、なにをすべきところであるかについてご紹介したいと思います。

 あらためて気づかされたことは、大学院は学びの場ではないということです。そこは研究の場なのです。さらに授業は講義ではありません。教えを乞う場ではなく、履修科目名にすべて演習と付されていることが示すように、授業のどこかで全員で対話、討議するのが基本です。ですから、ノートをとるということがまずありません。さらに、本研究科は学部(経済学部など)の研究科ではなく、社会をデザインする独立研究科です。そのため、先生方の専門分野も、ジェンダー、NPO、人間の安全保障、哲学、リスクマネジメント、社会政策、文化政策、社会学、映像ジャーナリズム、経済、貧困など、まだまだ上げきれないほど多義にわたり、これらの演習を選択し、必要とする要素を吸収しながら自身の研究を進めていくのです。ここが他の学部大学院と大きく異なる点であり、大きな魅力でもあります。
 では、研究とは何でしょうか。自分の関心事について多くの文献をあたり、精査してまとめること。否です。これは大学生の学士論文であり、まとめに過ぎません。自身の関心事の疑問を調査して解き明かすこと。これも否です。これは調査報告書です。そこで大学院での研究とは、概ね自身が研究しようとする領域の先行研究に独自の新説を設定し、それを実証することを目的とします。そうして、その成果を修士論文にまとめることです。しかも、ここは社会デザイン研究科ですので、自ずと社会をデザインする研究であることを前提とします。
 新説、すなわち自分の新たな仮説を設定する対象にはふたつの領域があると考えます。まずは、現在の自分の実務、あるいは生活や地域で携わっている自身の役割に対して、こうすればこうなる、という仮説を立てて、それを実証するものです。もうひとつは、これがすでに職を離れているRSSC出身者に比較的多いのですが、自分の実務等とは全く関係のない分野への仮説の設定です。この設定は、関係者との距離が遠いために実証することに多少の困難を伴います。なぜなら、主に仮説を実証する方法には、文献調査、アンケート、インタビューの三種類があり、これらの方法を踏まえていかねばならないからです。実証すべき関係者との接点がなければ、インタビューやアンケートを実施することが容易ではありません。いきなり見ず知らずの施設を訪問してもインタビューには誰も応じてはくれませんし、アンケートであれば、100人以上から取る必要があります。であれば、自分の周囲に協力者がいる実証であれば、比較的容易であることは明らかです。しかしながら、関係者との接続がないから無理であるか、といえばそのようなことはなく、在学中に関係性を築いていけばよいのです。その典型が、この私です。関連するボランティア活動などに参加し、そこで接点を生み出していくことが研究の始点となるのです。
 先行研究の論文や書籍などから自らの仮説の裏付けに近い根拠を探し出すこと、これが文献調査です。同時にアンケートやインタビューで得た回答を分析して、仮説の正当性を精査します。そのうえで文献調査と併せて、それらを総合的に検証して、自身の仮説は支持された、概ね支持された、支持されなかったと結論付けます。これが研究の着地点です。
 最後に、重要な確認が控えています。研究結果としてまとめたその成果は、社会デザインとしていかなる意義を持つのかということです。「本研究は、先行研究を精査した結果、先人たちの未到達領域のこの点に着目し、ここをこうすれば、こうなるという仮説を立て研究を進め、結果、この点が概ね支持された。よってこの仮説の実践により、自分の実務の、あるいは、生活や地域で果たしている役割が、このように社会的にデザインされることにおいて、本研究は意義がある」と、言えることが重要です。これが、21世紀社会デザイン研究科でなすべきことの概略なのです。

 


 

 

 

 

 

 

ゼミの先生と仲間たち                                   研究の成果と結果

 

 ひとつのことを成し遂げた歓びのあとには、その仲間たちとの別れがあります。卒業する最後の日において、ゼミの仲間たちとあらためて確認し合い、共有することが出来ました。私たちはここに、「価値」を求めに来たのではなく、それぞれの「意義」を求めに来たのだと。

 

 

 

 

RSSC出身の仲間たちと      RSSC出身の「優秀だけれど、ちょっと手のかかる、でも、素敵な院生後輩たち」と