「歴史の中の学校教育」からのメッセージ

前田一男(立教大学名誉教授)

 セカンドステージ大学の授業は、2013年度から担当させていただいているので、今年で8年目になるだろうか。授業が始まる前は、いつも独特の緊張感がある。受講生は、ご自分の教育史を歩んでこられており、また家庭では親として学校では保護者として過ごされてきた。さらに学校の教師を経験していらっしゃった方も少なくない。そのような受講生を前にして教育を論じるのはやはり緊張する。そういえば、教育勅語をしっかり覚えていらした80代の受講生もいらっしゃった。
 授業の目的は、近世から敗戦に至る日本の学校教育の歴史を概観することであった。戦後生まれで高度経済成長期の教育状況の中で学校教育を過ごされた方が多いであろう受講生にとって、戦前の教育史は関心が薄いのかもしれない。しかし、現在の日本の教育の成り立ち、教育問題の根深さを検討していくには、歴史を学ぶことが、遠回りのように見えて理解を深める近道なのである。特に戦後教育の出発点としての戦時下教育の持つ意味は大きいと考えていた。
 大学の近くにある自由学園へのフィールドワークも、教育史を身近に考えるきっかけになったかもしれない。大正自由教育の代表的な存在であった自由学園は、今年創立100周年を迎える。ひとつの学校が生き続けるということの意味を考えさせられる。立教大学の野球部創部100周年の際に作成したDVDを鑑賞してもらったこともある。一見華やかに見える学生スポーツに、戦争が大きな影を落としていたことを理解していただきたかった。
 教育に完全や完璧はない。その点では、どの時代も教育改革の時代であった。それだけに何が選択されたのか、その根拠は何であったのか、それはどのように評価されるのか、たえず実証的に検証していく態度が求められる。通説に流されないこと、常識を疑ってみること、たえず別の選択肢を持っておくこと、それが「大学の学び」だともいえよう。年寄りが昔話をすると説教にしかならないが、セカンドステージでの「大学での学び」を通して、若い世代との対話を重ねていくことが、実は目の前の教育改革に通じているのかもしれない。