ウィメンズクラブ4月定例研究会 春の「武相荘」を訪ねて

~白洲正子さんの生き方、価値観に触れる~

日時:2019年4月11日(木)11時30分~15時30分

場所:東京都町田市鶴川「武相荘」

出席:6名

 

白洲正子のプロフィール

1910年樺山愛輔(事業家・政治家)の次女として東京に生まれた。幼い頃より能を学び、14歳で女性として初めて能舞台に立つ。学習院女子部初等科を卒業し米国ハートリッジスクールへ留学。1928年帰国。翌年白洲次郎(1902年~1985年)と結婚し、青山二郎や小林秀雄らと親交・薫陶を受けた。骨董を愛し骨董収集家としても著名であると共に、日本の美や古典文学、工芸、骨董、自然などについての随筆も多く著した。1998年、88歳で亡くなった。

「私は不機嫌な子供であった。3歳になっても殆ど口を利かず一人ぼっちでいることを好んだ」と正子自身、自らの幼少時代を回想しているように、「小学校へ入る前に、富士山に登りたい」と駄々をこねたり、「14歳でアメリカへ行く」と言い出したり、「白洲次郎と結婚させてくれなければ家出をする」と言っておどしたりと、いつも不機嫌で言い出したら聞かず、勝気で負けず嫌いであった。それまでは女人禁制だった能の舞台に立ち、アメリカではスポーツに明け暮れた。帰国してまもなく互いに一目惚れした次郎と結婚し、2男1女をもうけた。薩摩志士で伯爵の樺山家に生まれた自らの性質や、その出生を強く意識した生涯だったようである。

武相荘とは

 白洲次郎が昭和18年(1943年)自然豊かな町田市鶴川の地に建てた茅葺屋根の家で、次郎・正子の娘、牧山桂子さんが、多くの人々に両親がここで暮した過ぎ去った時を偲んでもらいたいと2001年10月に開館、2015年には竹林を通り抜けられる散策路、レストラン等をリニューアルオープンした記念館である。

次郎・正子夫妻は60年近く一度も引っ越しもせず、「より良くする以外現状を変えたくない、前だけを見て暮したい」という正子の性格のせいか、武相荘は、ほとんど当時のままに残されている。

小田急線「鶴川駅」から数分バスに乗り、下車後春の陽射しと風を受けながら案内表示に沿ってゆっくり坂道を登ると、新緑の森の中に旧白洲邸が見えてきた。

田の字型の古い農家の間取りの室内には、当時の様子を偲ばせる写真や書、書籍、食器、着物などが飾られていたが、中でも二人の婚約時代、互いに贈り合ったポートレートと、お互いに一目惚れで結婚を決めた二人を彷彿させる添え書きがあり、次郎の「君こそ僕の発想の源であり 究極の理想である」と正子の「親愛なる人へ」に目を引かれた。

娘の桂子さんの著書によれば「両親はしばしば口争いをしていた」そうであるが、二人は暮らし方や物に対するTaste(嗜好・審美眼)が一致していた事が見て取れた。

まとめ

正子は社会貢献や女性の地位向上に尽力をした女性ではないので、ウィメンズクラブの研究会で白洲正子をテーマとすることが適当かどうかの懸念もあったが、樺山家という出生の氏や育ち、白洲次郎との結婚から亡くなる迄、まさに上流階級の一員として知と文化を追求し、著作や講演で社会に発信していった女性であり、「自分のしたいことに真剣に取り組み、自分の生き方や価値観を生涯を通して貫いた」ことに拍手を送りたいと思った。

参考図書

『次郎と正子  娘が語る素顔の白洲家』 牧山桂子 新潮文庫

『白洲家の日々  娘婿が見た次郎と正子』 牧山圭男 新潮文庫

<担当:夏目・重松(記)>