ウィメンズクラブ11月定例研究会

            ~日本最初の女医・荻野吟子の足跡を訪ねて~

ウィメンズクラブでは、発足(2010年)当初から年1回先達の足跡を訪ねる小さな旅をしてきたが、2018年は日本最初の女医となった荻野吟子を取り上げ、吟子の生家跡に建てられた「熊谷市立荻野吟子記念館」を訪問した。

11月7日(金)JR熊谷駅に集合した7名は、タクシーで記念館に向かった。熊谷市は来年のラグビーW杯で試合会場となるため駅周辺は盛り上がりを見せていたが、一歩郊外に出ると一面に田畑が広がり、福川、利根川が流れる豊かな農村地帯であることがわかった。記念館は2006年に生家の長屋門を模して作られた簡素な建物で、妻沼地域の郷土遺産などの案内を行っているガイドボランティア「阿うんの会」会長の増田さんが笑顔で出迎えてくださった。館内には吟子の生涯を時代に合わせて説明した年表やゆかりの資料の展示があり、ゆっくり館内を巡りながら吟子の足跡について説明をお聞きした。

また記念館敷地内には金子兜太氏の句碑「荻野吟子の生命とありぬ冬の利根」が建立されていた。吟子が育った利根川の畔の旧俵瀬地区は冬になると赤城山から冷たい「赤城おろし」が吹いてくる。厳しい冬の利根で培われた吟子の不屈の精神は、その後の苦難を乗り越える力になったことだろう・・・吟子の生涯に思いを馳せたひと時であった。

その後、降り出した雨の中、土手下に下り、行き交う人の全くいない利根川沿いの道を10数分歩いて葛和田の船着場に到着した。ボランティアの方に教えていただいた通り黄色の大きな旗を掲げて合図を送ると、対岸に停泊している船が迎えに来てくれて群馬県千代田町に渡った。(この赤岩渡船は動力船で約400mの川幅を5分かけて進む。渡し船の歴史は古く江戸時代初期からで、橋のない公道として無料)下船後、地元の老舗鰻割烹の「新田屋」でうな重のランチに舌鼓、帰り際にお店から黄色く色付いた柿の実をお土産にいただいた。

「新田屋」からほど近い真言宗「赤岩山光恩寺」には吟子の生家の長屋門(国の登録有形文化財)が移築されており、門前には吟子の石像が設置されていた。ご住職の奥様が吟子の生家を偲ぶ唯一の建物である長屋門について、その歴史と保存のご苦労などをお話してくださった。帰路はまた船に乗りバスを乗り継いで熊谷駅に・・・秋の夕暮れは早く熊谷駅に到着する頃はもう暗くなり始めていた。吟子の生誕の地に降り立ち、滔々と流れる利根川を眺めていたら、多くの水害に遭いながらも江戸から明治へと生き抜いてきた人々の苦労も偲ばれ、今年も感慨深い旅になった。

<荻野吟子の生涯>

吟子は嘉永4年(1851)幡羅郡俵瀬村(現熊谷市俵瀬)の荻野家の五女として生れ、幼い頃から聡明で、勉強好きであったと言われている。結婚後不遇の病に罹り、2年後には離婚、生死をさまよう病状で大学東校(後の東大医学部)の付属病院に約2年の入院を余儀なくされた。この入院治療の体験により、女医の必要性を痛感した吟子は自ら女医となる決心をしたようだ。ところが女医への道は険しく遠く、女というだけで医学校への入学もさせてもらえなかったが、優秀な成績で卒業した女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)の永井教授、医学会の重鎮石黒忠悳らの尽力により医学校への入学が許可された。しかしながら医学を習得してもその後の医術開業試験を受けさせてもらえなかったのである。最初の出願から3年後の明治17年(1884)に漸く願書が受理され、試験を受けることができ優秀な成績で無事合格した。女医を志した明治3年から14年の歳月を経て日本最初の公認女医が誕生したのである。吟子は、本郷湯島に荻野医院を開業、大盛況であった。その後、診療で出会った社会の底辺に生きる女性たちに接し、キリスト教に入信、やがて女性の権利向上のための活動をするようになった。その社会運動中に知り合った15歳年下の志方之善と明治23年(1890)に結婚し、共に北海道に理想郷を建設するべく奔走したが、志半ばで夫が病死、3年後の明治41年(1908)に北海道を離れ東京の本所で再び医院を経営したが、医学から長く離れていたこともあり余り流行らなかったようである。大正2年(1913)脳卒中で倒れ、回復しないまま姉や養女親戚に看取られ、波乱多き一生を閉じた。享年62歳、雑司が谷霊園に眠る。

<埼玉ゆかりの三偉人>

故郷に長く暮らすことがなかった吟子であるが、埼玉ゆかりの三偉人(他に渋沢栄一、塙保己一)の一人に選定されている。

<最後に>

2018年、医学部受験の際、女性が不利に扱われてきたことが判明した。平成が終わろうとしている今の時代にあっても受験の入り口で男女差別があることに愕然としたが、遡ること140年近くも前に鉄の扉を押し開けた吟子の大変さは如何ばかりであっただろう!道を拓いてくれた先達に改めて敬意を表したいと思った。医師の働く現場は昼夜問わずの勤務もあり、確かに女性の体力に限界があるかもしれないが、志を持って医師になろうとする女性たちを最初から排除することなく、働き方の工夫・改革で乗り越えられるようにして行かなければと思う。

<参考資料等>

◆小説:『花埋み』渡辺淳一著 河出書房新社(集英社文庫も)

◆児童書:『伝記を読もう7 荻野吟子 日本で初めての女性医師』加藤純子 あかね書房

◆映画:来年初夏を目途に製作されている映画「荻野吟子の生涯 日本で初めての女性医師」

監督は現代プロダクションの山田火砂子さん(86歳)http://www.gendaipro.com/ginko/

(記:小杉)