ウイメンズクラブ9月、10月定例研究会「『富岡日記』から読み解く女性の社会参加」

<9月 事前勉強会>

1活動日 2017年9月1日(木)13時半~16時

2場 所 MFビル会議室

3出席者 6名

4テーマ 富岡製糸場見学のための事前勉強会 『富岡日記』(和田英著)を読む

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、日本の製糸業の近代化を推進した産業遺産として、2014年にユネスコ世界遺産に登録されたが、明治初期にその絹産業の生産を支えたのは名もなき若き女性たちの労働であった。10月に富岡製糸場を見学するに当たり、9月の定例会は、事前勉強会として明治維新後の女性労働史に残る貴重な回想録『富岡日記』(和田英著)を読み解き、当初の労働環境は果たして『あゝ野麦峠』の女工哀史のような過酷なものだったのだろうか否か、それぞれが感じた思いなども交えて活発に意見交換を行った。

 

<10月 現地訪問>

1活動日 2017年10月6日(金)

2場 所 「群馬県立日本絹の里」、「富岡製糸場」

3出席者 6名

新幹線「高崎駅」に集合した6名は、まず絹の歴史と文化を学ぶために「群馬県立日本絹の里」に向かった。タクシーに乗ること30分、日本絹の里はさすがシルクの総合博物館だけあって、群馬県の蚕糸業の足跡を始めとした繭や生糸に関する資料が数多く展示されており、天然繊維の絹の素晴しさを改めて実感した。生きている5齢の蚕も展示されていて、ビックリ!繭と絹を使った体験教室やシルクアーティストの企画展示なども随時行われ、楽しく学べる博物館である。

「高崎駅」に戻り、上州電鉄に乗ること40分弱で「上州富岡駅」に到着した。世界遺産に登録されて以降は駅舎や辺も随分整備されたようであるが、登録から3年を経過し観光客は半減してしまったとか。それでも「富岡製糸場」周辺には観光バスが何台も停まっていて、土産物店は大きな声で呼び込みをしていた。「上州富岡駅」に到着する頃から雨が降り出してきたが、傘を差しながらガイドツアーに参加して製糸場の内外を見て回った。ガイドの説明をお聞きしながら、フランスの絹織物の技術者の指導の下とはいえ、明治初期によくぞこんなに立派な政府直轄の官営工場が建設されたものだと驚いた。“まさに百聞は一見に如かず”そして同時にこの官営工場建設によって日本の製糸業が家内産業から近代産業へと発展していく礎になったということが分かった。

『富岡日記』によると、「富岡製糸場」に最初に入った女性たちは選ばれた士族の娘たちで、技術習得後は地元に帰り指導する役割が与えられていた。近代的な工場は寄宿舎付きの職業訓練校の性格を帯びていたようで、当初は労働条件も画期的で、所謂女工哀史的な労働内容ではなかったことが日記から伺える。

就労規則はフランス式で、就業は朝7時から午後4時まで、9時から30分、12時から1時間、午後にも15分の休憩時間があり、実働は7時間45分。週1度の日曜日は休み、猛暑の時期は昼の休憩時間を増やし、夏と冬には休暇も取れた。

しかしながら、恵まれた労働環境はほんの一時期で、その後の急速な工業化の過程で工女たちの低年齢化が進み、富岡製糸場が先鞭をつけた労働条件も日清戦争を契機に利潤第一の資本論理に敗北してしまった。その後はまさに劣化の一途をたどり、製糸労働史の悲劇になっていったのではと思われる。

堂々と佇むレンガ作りの富岡製糸場を眺めていると・・・繭を煮る強い匂いにも負けずひたすら働き続けた多くの若い女性たちの目に、今の日本はどう映るのだろうかと、工女と呼ばれた人たちに思いを馳せながら見学をした6名であった。

<映画のご紹介>

映画「赤い襷(たすき)~富岡製糸場物語~」は、和田英の『富岡日記』を基に、日本の近代化を担った若き工女たちの姿が描かれていて 、10月7日地元で公開された。東京では「渋谷シネパレス」で12月2日(土)~14日(木)まで上映される予定です。

 

 

 

 

◆11月の定例研究会の予定

日 時:11月10日(金)13時半~16時

場 所:FMビル 13F集会室

テーマ:「道なき道を拓いた日本の女性科学者の100年」

(記:小杉)