kissの会ゲスト投稿の依頼から、3月に新メンバーとなって編集会議に参加した時のこと。次の投稿は「情景描写」を入れてとのお達しに、「ジョウケイビョウシャ・・」の言葉が頭の中を廻った「ふぅ~ん」。そんな時、二男が小学校入学して程なく父兄へ出された宿題を思い出した。それは、自身が幼少期だった頃の思い出を提出するというものだった。
☆☆☆☆☆記憶は、いつの頃から・・・。
人によって、幼い頃の記憶や記憶する時期に違いはあるのだろうが、人の記憶とは、はたして何ヶ月?何歳位から始まっているのか・・・。 知人のお孫さんは、「こんな事、お話ししていたよねぇ」とお腹の中で母親の話しを聞いていたと言われて、とてもびっくりしたと聞く。幻想なのかもしれないが、私もかなり昔の記憶があり、その中でも強烈に残こる記憶がある。
母に抱かれ、幼少の私も葬儀に参列していた時の事(母の兄の葬儀)。不謹慎ではあるが、天井から薄暗い色の幕で覆われていた祭壇に、何とも気になるお供え物がどうしても欲しくなり、ぐずり続ける私にそっとお供えの羊羹を口に入れてくれたのだ。暗闇の中で皆がすすり泣くその情景と、口の中に広がる黒糖の深い甘味は、今でもぼんやりではあるが憶えている。死者への悲しみに供えている物を、母は私に与えた事で祖母からひどく咎められたと聞く。そんな記憶を再び思い起こす出来事が最近あった。
今年の3月、まだ雪深い北海道。私は53年振りに生まれ故郷である北海道士別市へ行ってきた。(別名 サムライ士別 同じ名称の町があるので)東京では桜の開花予想が出ていたが、この地はまだ春遠く朝晩は、まだ氷点下13℃にもなり濡れたタオルをビュンビュンと回すと、たちまち凍ってしまう極寒の地だ。
8歳上の従兄弟から来た訃報の電話。前日にもメールのやり取りをしていて、私は遠い昔を思い出していた。「あの時の記憶」あの時の羊羹が、ズーと気に掛かっていた。やっぱり伺って「お供えをお届けしよう」。幼少の出来事とはいえお返ししなければ・・・。そんな思いからの弔問だった。
お通夜で紹介された叔母さんの経歴、58年前御主人(母の兄)を亡くされ、女手一人で3人の子供を立派に育てあげた。その当時、自分は1歳半の幼子だったのだ。あれから果てしなく年月が過ぎてしまったが、あの時の無礼を謝罪し叔母さんのご冥福をお祈りし、長年の想いに整理がついた気がした。
生まれ故郷である北海道士別市は、屯田兵が開拓した地です。旭川から電車に乗り継ぎ約1時間、人口約2万人で当時から比べると半分にまでに減っている。小学校1年生の夏まで、私はこの地で育ったが最後に別れを告げた駅舎は、補修をしていたものの、あの時と変わらない狭い改札口だった。若い駅員が丁寧に対応していたが、切符は昔ながらの窓口で買う対面式だ。現代の自動券売機や自動改札等は、この地では無用なのだ。乗客が改札口を通ると、軽やかに駅員の持つハサミの音が狭い駅舎に響き、赤字路線が多数ある北海道の廃線区域となってしまうのは時間の問題かもしれない、そんな寂しさを感じた。
旭川と士別の中間に「塩狩峠」がある。三浦綾子の小説にもなった峠だ。昨年死去した父は戦後、山形県から北海道の戦友を頼り、柳行李ひとつで遠く離れた北の地に渡ってきた、その当時の父の想いとも重なり胸が熱くなった。
予期していなかった貴重な時間は、幼少期の様々な記憶によって心をリセットされた。そして帰宅への機上では、幼い頃に遊んだ丘から見た空を、まるで海と見違えてしまうほどの広さと青さに、心が震えた感動を思い出させてくれた。忘れていた記憶が、また蘇るかもしれない・・・。そんな想いに期待し、緑眩しい初夏の故郷へふたたび訪れたいと思っている。
(7期生 梅本)
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