こうなるとわかっていたら、7月前半に行くべきだった。春に夫が会社からチケットをいただき、無駄にするのはもったいない、夏休み明けで暑さもましになってちょうどいい頃かと考えたのだが、そういう人が多かったらしく最悪の人出の時期の9月下旬に出かけてしまった。事前に取れた予約はタイ館一つ、当日取れた予約は16時半のオーストラリア館一つ。いざ行けば見たいところがたくさんあったのに、入館できるのは事前予約者のみ、これ以上の行列は禁止と門前払いされた。唯一行列できたのはオーストリア館で、一時間足らずで入れたがあっという間に終わった。感想は、概して大人の文化祭。

早起きしたのでおなかがすいて、たまたま行き合わせた「好きやねん大阪フードコート」に入る。意外にすいていて高くもなく、海鮮丼やたこ焼きを食べて元気を取り戻し、しかし夕方まで何をしたら?と歩き出したら、楽しそうな音楽が聞こえてきた。そこはコロンビア館の前で、バンドの演奏に笑って手拍子をしていると、さっと仕切りが開き、現地の人が手招きして何人かを入れてくれた。鳥・魚・動物・花、地球で一番色鮮やかな所なのです、私たちは美を生きる。黄色い蝶の飾りがあちこちを案内するように舞っていた。

もう一つ、パビリオンの人が「横入りでもいいから見て行って」と声かけしてくれたのでアラブ首長国連邦館にも入れた。ドーンと高い柱がたくさん立っていた。
「これはナツメヤシの茎、ふだんは捨ててしまうものをたくさん、足りないので他の国にも声をかけて集めて、作ったのです!」
他には、そのまま歩いていけた太古の樹のゾーン、静けさの森、大屋根リングの上などを回り、混雑が予想されたので暗くなる前に会場を後にした。

写真は今、私がふだん近所の買い物に使っている手提げで、イオンで見切り価格千円で買った茶色のカバンに、コロンビア館の男性が配っていた毛糸のカラフルなボンボンと私の娘がくれた金属製バッグチャームをつけたもの。手前に置いてあるのはボンボンと一緒に手渡された紙の黄色い蝶だ。このカバンを持って歩くと気分が上がる。

この蝶はガルシア・マルケスの『百年の孤独』に出てくる、愛・死・変化・破壊の象徴なのだそうだ。私は二十代の頃に読み「一族の最初の者は樹につながれ、最後の者は蟻にむさぼられ」というフレーズだけ覚えていたが、スマホが簡潔に教えてくれた。「豚のしっぽ」を持った子が生まれないように、苦労して働き朽ちていった一族の物語だ。

令和7年は機械音痴の私でもAIに質問できる時代で、昨日の新聞に「一頭の蝶」と載っていたのでうそだと思ってまた調べたら、正しくは「頭」、一般的には「匹」、「羽」は鳥を数えるものなので誤りだと教えてくれた。標本では頭がないと無効なので「頭」と呼んで数えるそうで、その新聞の蝶は貴重なアサギマダラだった。しかし、蝶に「頭」とは。まるで、一寸の虫にも五分の魂だ。

そう言えば、万博に行った前後に私と蝶との交流があった。車の横の塀にミノムシみたいなのがついていたのをずっと取らないであげていたのだが、万博に行く前あたりの朝、羽化が始まっていると出勤する息子が言った。私が外に出た時には小さいアゲハがたどたどしく前の道の電柱の近くを飛んでいた。二泊三日で関西から帰り、塀につながる門の前の花に水をあげていたら、小さなアゲハ蝶が飛んできた。これは絶対あの子だと思った。その後二度と見なかった。

命あるものからの教え。魂を踏みにじってはいけない。小さな力は輝かしい。オイルマネーやドバイのイメージに反してアラブ首長国連邦が選んだ膨大な手作業にもグッときた。
(7期生 安孫子)

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