「無言館」に思う

               4期生 大戸澄子

 先月8月27日、日本テレビ「24時間テレビ45」の中で放送されたスペシャルドラマ『無言館』を見た。太平洋戦争に出征し亡くなった画学生たちの遺した絵画を全国から集め、新たな美術館「無言館」を設立した男の物語だ。

 「無言館」は、長野県上田市に戦後50年を経た1997年5月、美術商窪島誠一郎氏により設立された戦没画学生慰霊美術館だ。私はこの「無言館」へは4期生の友人たちと二回ほど訪れた。新幹線の上田駅から上田電鉄別所線「塩田町駅」で下車、徒歩30分という少々不便な所ではあるが、里山の中にひっそりと佇んでいる姿は教会のようだ。中に入ると、しんとした空気とともに戦争という歴史の中で命を落とした若者たちの、絵画に対する無念の想いが伝わってくる。

 窪島誠一郎氏はなぜこの「無言館」を設立したのか。窪島氏の著作によれば、友人であり復員した画家でもある野見山暁治氏(東京芸大名誉教授:文化功労者)の言葉だったという。東京美術学校(現東京芸大)に入学したが繰り上げ卒業、現役兵として満州に出征したがまもなく肋膜炎で内地に送還された。病とはいえ幸運にも自分だけ復員したこと、戦地に残してきた同級生、後輩たちが皆戦地で命を落としていることへの後ろめたさ、罪悪感にずっと苦しんできた。戦地で亡くなった彼らの遺作を一堂に集め、新たな「美術館」に残しておくことができないかという彼の願いに動かされたのだという。土地の確保、資金集めに奔走し、日本中の遺族から遺作を集め美術館は完成した。開館当初は年間10万人もの人が来館したが、現在は2万人を切るという。経営は厳しい。ドラマのおかげか入館者は増えているというが、この戦没画学生の思いの詰まった美術館を何とか継続させてほしいと切に願う。私もぜひもう一度「無言館」を訪ねたいと思う。皆さんもぜひ「無言館」へ!

 余談ではあるが、窪島氏は2歳の時に生き別れたままの父を探し、1977年に30余年ぶりに父、作家の水上勉氏と再会を果たしたことは、周知のことである。