パンデミック時代のユートピア

高 橋 輝 暁
立教大学名誉教授
立教セカンドステージ大学講師

 「ユートピア」(Utopia)という言葉は、イギリスの政治家トマス・モア(Thomas More, 14781535)が16世紀初頭に著した作品に由来する。それが単なる「理想郷」の夢物語ではなく、しかるべき国家の構想であることは、長大なラテン語原題の冒頭の言葉「最良の国制あるいは新しい島ユートピア」にも窺われよう。この島国(図版)では、個人の利益よりも共同体の福利が優先される。その意味で、この作品は共産主義の先駆とも言える国家像を描く。それは、ヘンリー八世が統治する当時のイギリス国家への批判として「ユートピア」を対置しているだけではない。それは、21世紀に生きる私たちが読めば、激しい自由競争を推進して目に余る経済格差の拡大を肯定する21世紀的資本主義体制へのアンティテーゼを提起してもいるのだ。

 たしかに、社会主義革命とその壮大な「実験」は、悲惨な現実を引き起こして失敗した。それを支えた共産主義イデオロギーは、20世紀の末期に崩壊した。「万国の労働者よ、団結せよ!」のスローガンと「能力に応じて働き、必要に応じて享受する」理想社会の目標を掲げた共産主義運動は自壊したのだ。その後、世界が突っ走った先が、21世紀のグローバル資本主義にほかならない。19世紀への回帰をも思わせるその21世紀型資本主義は、いわゆる「先進国」の多くの人びとにとっても不幸な世の中をつくった。そのことを誰の眼にも見えるように可視化したのが、今回の新型コロナウイルスによるパンデミックだ。ちょっとした「ロックダウン」や「自粛」で、経済的に死活問題となってしまった。とはいえ、21世紀において、かつての共産主義を再生するのは、困難だろう。

 こうなるともう資本主義(正)とそれに対立する共産主義(反)を唯物弁証法的に止揚した「共産資本主義」(合)しかないのかもしれない。実際、今回のパンデミック以前から、すべての国民に対して最低所得を保障するベイシック・インカムについて語られるようになっていた。さきごろの個人に対する休業補償や一律10万円給付などは、その一時的試行と言えなくもない。それはいわばミニマムの共産主義だ。食べて行ける程度の最低所得を手にしたうえで、少しは豊かな生活ができるように、資本主義的自由競争に参画する。そこで大いに稼いだなら、収入に応じてたっぷり税金を納めてもらう。それで国がベーシック・インカムを賄えばよい。飽くなき欲望の追求は、人類を、地球を、世界を滅ぼす。

 人件費を削減したいメガバンクが、行員の週休を4日にするそうだ。減額されるとはいえ、なお残る給料をベイシック・インカムに上乗せして、休みの日には、家族と楽しく過ごすこともできる。副業に精を出せば、従来の給料より高収入の高額納税者になれる可能性もある。文才があれば、退職しなくても、経済小説の執筆ができるかもしれない。

 それに対して、初めから稼ぎが少ないのを覚悟して、清貧の中で大切な文化の継承と創造に励む人も少なくないはずだ。こうした奇特な人たちが低所得に喘いでいるのに、ごく少数の人たちに巨万の富が集中し、往々にしてその使い道を間違えている経済体制はよくない。経済的に困ったら、まずは周囲の人たちに助けを求め、そして無一文になってから国の「生活保護」にすがる体制は、望ましくない。「自助・共助・公助」(菅義偉)に基づく競争資本主義に先立って、ベイシック・インカムという最初の「公助」、すなわちミニ共産主義が必要だ。「公助・自助・共助・公助」に修正する必要がある。

 とはいえ、それを経済の世界で物質的に実現するのは、容易でなかろう。まさに「ユートピア」のような話だ。「トピア」(topia)の語源はギリシア語の「トポス」(topos)で、「場所」を意味する。「ユー」(u-)はギリシア語の否定接頭辞「ウー」(ou-)にもとづく。それに人文主義者モアは、「良く」を意味するギリシア語接頭辞「エウ」(eu-)を掛けた。「ユートピア」とは「どこにもない良い場所」という意味だ。だから、それはもともと「どこにもない」。

 ところが、その「ユートピア」実現の方策を私たちは、今回のパンデミックのお陰で、はからずも発見した。物質的世界の道具を使って、ヴァーチャルな、言い換えれば、観念的な世界で「ユートピア」を実現できるのだ。それは、まさにリアルな物質世界とヴァーチャルな観念世界とを弁証法的に止揚している。その「ユートピア」とは、パソコンを使ったオンラインのコミュニティにほかならない。現実の「場所」としては「どこにもない」けれど、そのヴァーチャルな世界では、私たちが現実の世界でどれだけ離れていても、お互いに出会える。オンラインのコミュニティとは、たしかに「どこにもない良い場所」すなわち「ユートピア」なのだ。そのひとつが、立教大学ホームカミングデーにオンライン参加する「RSSCオータムフェスター100年の仲間ー」で実現する。

 100年の仲間よ、集合せよ!

「ユートピアの島の絵図」

トマス・モアの『ユートピア』初版本(1516)に所収の木版画