2019年度からセカンドステージ大学で「日本思想を名著でたどる」という講義を始めました。受講生は予想を超えて百人ほど。毎回の講義の後のコメントペーパーを読み、ほとんどの方に楽しんでいただいているようで、ほっとしています。
 私は、近代日本を代表する哲学者・西田幾多郎を記念した「哲学の博物館」で十数年ほど専門員をして、数年前に立教大学にやってきました。西田幾多郎は、明治になり日本に入ってきた欧米の哲学を学びながら、単なる「欧米哲学の徒」になるのではなく、自らの根ざす東洋(日本)の伝統的な思想や文化を保持しながら、日本発の「哲学」を作りあげようとした人物です。
 ですから、彼の哲学を理解するためには、欧米の哲学を知っている必要もありますが、東洋(日本)の思想も知っていなければなりません。そこで私は、日本の古典も読むようになったのですが、気がついたら西田を離れて古典文献そのものを読むようになっていました。
 したがって、私が古典を読のは、純粋に古典を古典として読むというよりは、近代以降の思想に影響を与えた古典として読むという立場になりますので、いわゆる古典文献の専門的な研究者ではありません。そのような人間が皆さんの前で話をしてもいいのか少し気が引けるところもありますが、こうした立場で話をする意味もどこかにあるかと思い、受講生の皆さんと一緒に学ぶという姿勢で講義をさせていただいております。
 そして実はこの講義は、他の大学の学部生向けの「日本思想史」という授業のアレンジでもあります。他大学の授業の受講生は二十歳前後の学生さんたちですし、セカンドステージ大学の受講生は私よりも年上の方々ですから、最初は話す内容も変えようかと思っていました。でも、試しにほぼ同じ内容でやってみたところ、意外にも両方ともに興味深く講義を聞いてもらえています。
 これはいったい、どういうわけか。やはり、それこそが「古典」という素材の力なのでしょう。読む側が、平成生まれでも、昭和生まれでも、それこそ西田幾多郎のように明治生まれであろうとも、同じ内容で学ぶことができる。そうした世代を越えた「古典」を読み、学び、楽しむという営為こそ、最高の娯楽であり、教養なのだと思います。