文化の光と影

 池袋の西口公園が全面改装中だ。この秋には日本で初めての劇場公園に生まれ変わるらしい。豊島区の広報によると、完成すれば、ダンス、ミュージカル、演劇などのほか、オーケストラの公演もできるようになるのだという。隣接する東京芸術劇場とあいまって、一帯は東京の演劇、音楽文化の新しい中心になっていくのだろう。来年がオリンピックの年であることを思えば、たぶんそのことと連動した事業なのかもしれない。
 公園がきれいに整備され、文化の香りがかぐわしく立ちこめるのはたいへん結構なのだが、気になることがないでもない。
 工事が始まる前まで、あの近辺には一定数の人たちが、一日じゅう集っていた。夏には木陰が、冬には陽だまりが、彼らの格好の居場所になっていた。周囲に飲食店が多いという事情は、彼らにはどこかで心の支えになっていたことだろう。
 見栄えのよい文化施設は過去の臭いを消して、まるで何事もなかったかのように、安全で文化的な池袋という清新なイメージを発信していくに違いない。だが、あの場所を居場所としていた人たちは、いまどこへ追われ、今後どこへ行くのだろうか。
 居場所とは居る場所、居るとはそして、座るという意味だ。ただ座っていることさえも許されずに排除されてしまうのだとしたら、何ともやるせない話である。
 そういえば、少し前に「排除します」といって選挙に敗けた党首がいた。また、ブランド住宅街とかいう東京の南青山では児童相談所を排除しようとして顰蹙を買った。ヘイトスピーチの例を出すまでもなく、この排除という考え方、どうやらあちこちに浸透してきているらしい。定年を間近に控えた身としては、わが身が排除されないことを祈るばかりである。

立教大学教授
立教セカンドステージ大学教員
川口幸也

この記事の投稿者

十期生・ 編集チーム