=昔探しの旅は発見から=
「あった!あった!」と私は思わず叫んでしまいました。足は泥で抜けず、顔は蚊にさされて汗まみれ、手は傘とスマホで塞がれ道なき道を歩き回っていました。諦めかけていたその時、茫々たる草木の中に石碑はガッチリと建っていました。石碑には「尾張國分寺舊址」(右写真)と彫られ、長年風雨にさらされながら建っているその姿は風格さえ感じられました。
天平の時代の遺産を訪ねる旅をしています。聖武天皇は仏教の力で国を護る「鎮護国家(ちんごこっか)」を掲げ全国60余りの地区に国分寺・国分尼寺の建立を推進しました。奈良の大仏がある東大寺はその総本山であり、752年には大仏の開眼供養会が営まれました。1250年前の天平人々はどんな思いで暮らしていたのだろう、と半ば物見遊山な気分で旅は始まりました。
=遺産は語る=
国分寺跡地について二つのことを考えました。一つは国分寺が後世に残した意味です。発掘により礎石(当時のもの)や基壇、門や築垣が復元されている跡地があります。そこに立つと1250年前と同じ大地を踏みしめている不思議さに襲われます。(左下写真:薩摩国国分寺ジオラマ)
広大な敷地に金堂、講堂、七重塔、鐘楼、僧房等、南大門はじめ各門は築垣で結ばれていると看板に示されています。その景観を想像すると胸に迫るものがあります。しかし、この広大な敷地の建物は次第に朽ちて廃れてしまい天災や戦によって忘れられていきました。聖武天皇は国分寺を建てさせましたが人々の心に仏の教えを根づかせることはしませんでした。人々の心に届かない仏塔はすべて消え去ってしまったのです。
以降、生きるのに困難な時代に民衆の心を支えたのは仏の教えでした。空海や最澄の教えは多くの民衆に受け入れられその仏の教えは今日まで続いています。仏の教えは村々の小さなお寺を中心に広がり民衆の心に根付いていったのでしょう。そして日本人の精神性を育んできたのではないかと思います。しかし今の時代この精神は生き続けているのでしょうか。表面的な形や大きさ、主張の強さが社会を席巻しているように感じます。他方、平凡だがささやかな日々の生活を誠実に営んでいる人々が社会を支えています。現代人は何を未来に残せるのでしょうか。残された礎石の上を風が吹き渡っていきました。
もう一つ考えさせられたことは国分寺と共に国分尼寺がたてられてことです。国分寺は正式には国分僧寺(金光明四天王護国之寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)がセットになっています。聖武天皇は光明皇后と共に尼寺の建立の詔を発しています。光明皇后は悲田院(孤児・貧困者救済)や施薬院(病人救済)を設立するなど社会福祉事業に尽力し仏教に厚く帰依した皇后です。
法華寺にある庶民の汚れをとったという「からふろ」も皇后の事業の一つです。その当時の女性の地位はどのようであったか窺い知ることはできませんが、聖武天皇は皇后の仏教の教えのもとに人々を救うという行為に国分尼寺の建立を命じたのでしょうか。女性を男性と同等に考え国分尼寺を建立させた聖武天皇の考えは画期的であり1250年を経た現代から見ると先見の明に映ります。
私の天平の時代の遺産を訪ねる旅は、現代に通じる道でありこれからも続く未来への道のように思います。先人の残した計り知れない遺産はこれからの時代に生きるヒントを多く示しているように感じます。物見遊山の旅は温故知新の旅となりまだまだ続きます。
(7期生 須藤とく子)
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