ウィメンズクラブ9月定例研究会 「ブータンは今」
2.場所 セントポールズ会館 「すずかけ
3.参加者 12名
4.話題提供 北澤邦子
9月の定例研究会は、「GDPよりGNHを」を掲げて近代化を推進しているブータンの都市と農村を旅した体験報告を元に「幸せとは何だろう?」を改めて考える会としました。
【ブータンについての基礎知識】
面積は日本の10分の1(九州とほぼ同じ。南北150Km 東西300Km)、人口は80万人弱。北は7000m級のヒマラヤ山脈の中国チベット地区に、南はインドのベンガル・アッサム地区の高度200m足らずのジャングルと接し、東西はインドの高地に囲まれている、地理的に見ても陸の孤島と言える小国で、このため長い間国際社会からは取り残されたまま1960年に第3代国王が即位され国際社会に目を向けられるまで鎖国状態が続いた。1964年、第4代国王が即位。JICAからの支援を受けながらブータンの開発が進む。1971年国連に加盟し国王は演説の中にNGHの考え方を示された。1981年日本との国交樹立、日本の支援が始まる。2006年、国王は王政から立憲議会民主政治への変換の必要性を説き、周囲や国民の反対を押し切って自らの王位の譲渡を宣言し、翌2007年には国民選挙が実施され二院議会政治がスタート。2008年、GNHの実現を目指したブータン憲法が発布された。
【GNH(国民総幸福量)とは】
*第4代国王の考え方
“ブータンの近代化に当たっては、先進国のように所得やGDPに基づいて論じるのではなく、国 民の幸福を第一としたGNHの概念で論じ推進していこう”
「ブータンが近代化、国際化を図るには経済発展がなされなくてはならないが、ブータンの自然環境や固有の伝統文化や暮らし、家族・友人・地域との調和に基づき人々が幸せと感じる精神的な豊かさが無ければならない。国が豊かであるためには、先ず国民それぞれの家庭が幸せでなければならない」としたものです。
*ブータン憲法に盛り込まれた4つの柱
1 持続可能な公平公正な社会経済の発展
2 傷つきやすいヒマラヤ山脈地帯の自然環境の保全
3 ブータン固有の文化の保護と発展 伝統的な文化の継承
4 優れたガバナンスの実現
資源に乏しいブータンの財源はヒマラヤの雪解け水と南北の高低差を利用した「水力発電」と豊かな自然や独特な文化が魅力の「観光」が主で、その他の「農林畜産・鉄・セメント」を併せても自主財源は70%弱、残り30%は海外援助に頼っている現状で、一人当たりの平均年収は27万円と貧しい。経済的な豊かさを幸せの尺度で図りつつ追求していくブータンの困難さは計り知れない。
【ブータンの旅での見聞と印象】
美しい自然、服装も建物も伝統がきちんと守られ人々は礼儀正しく穏やかで笑顔を絶やさない。貧しいが悲壮感や悲惨さは微塵も感じられないというのが第一印象だった。チベット仏教の寺院や仏塔、ダルシンが随所に建てられていると共に八百万の神々への強い信仰心が暮らしの隅々にまで浸透している。どの家にも立派な仏間があり、平均して一日1-2時間は祈り、集落や村、そして折々には大寺院の仏事や祭事に参加するという。
また、国王を敬愛し、空港・ホテル・学校のみならず、どの家にも国王(一家)の写真やポスターが飾られている。スラムもなく、物乞いの姿もみられない。
が、開発は急ピッチ。人口の2割が集中する首都ティンプーも空港のあるパロも建設ラッシュで車の渋滞・埃・騒音・野犬などの都市公害が深刻化していた。失業率は3%程度だがこれらの都市の若者では13%にも達する。にも拘らず、建設現場労働は敬遠され、4Kの労働者の殆どがインド人だとか。電気炊飯器やTVは農村部にも普及し、固定電話より先にスマホが一般化している。子どもたちには国技のアーチェリーより今はサッカーが人気。初等教育から授業は英語でなされ、就学率は95%を越える。子どもたちの学業成績・社会活動は全てデータベース化されているため大学入試は必要なく、希望する大学に入学申請するだけで事足りるのだとか。この点は日本のはるか先を行っている! ニューリッチが登場し経済格差・世代間格差も生じている。鉄道はなく国内航空便もない。公共のバス交通も限られているから今人々が欲しがるのは車だが、車もガソリンも輸入に頼っている。
時折停電があるので懐中電灯を携帯するよう言われたが、確かに停電にも遭ったし、ホテルの設備が故障していることも。だが、「ああ壊れているね」と屈託ない。
今回の現地ガイドには見習いの若者が付いたが、彼は「妻の仕事がパロに決まり引っ越さざるを得なくなったので、私も転職したばかり」と言っていた。一見女性上位のように聞こえたが、女性議員数は選挙がある毎に減少傾向にある。
日本の近代化は150年前の明治維新から、ブータンでは50年前からである事を考えると、その速度は日本の3倍、しかも近年急速に進んだネット社会にいきなり入らざるを得なかった訳で、社会の発展に凸凹が生じているのは当然だが、その背景には次のような事があるように思えた。
貨幣経済はまだ不十分で店に行っても国産品は全くなく、外国製品が少し置いてあるだけ。基本的には自給自足であり、食物には困っていない。住居も3-4世代が同居でき、1階には家畜用、3階には倉庫と干場を兼ねた大きな空間を持つ家に住んできたこと。山懐の集落では人々の絆が強く互助の精神で暮さざるを得なかった長い歴史があり、困っている人には誰かしらの手が差し伸べられて来たこと。家の財産は娘が継承する女系社会であること。家族第一で夕方5時半には帰宅し家族揃って料理し皆で食卓を囲む習慣があること。信仰からくる礼節が深く浸透していること。お酒やお祭り、スポーツ大好きな比較的楽天的な民族で、授業や仕事よりお祭りやスポーツ大会優先と考えること。教育や医療が無料でなされていること等など…。
6日間というわずかな時間、しかもブータン西部のティンプー、パロ、ハと限られた地区での見聞での感想に過ぎないが、ブータンは今「幸せの国」というより「幸せを追求している国」であり、「近代化はするが西洋化はしない」としたリーダーたちの苦悩が見える様だった。しかし慌てなくても良いではないか。ガツガツとした利益追求の競争社会にある先進国の轍を踏まず、自信と誇り、篤い信仰心をもってゆっくりと我が道を進んで行けば、いつかNGHが達成されるに違いない。数年後のブータンの姿を再び見に来たいと思った。
You-Tubeの「Happiness from Bhutan」を視聴しフリートーク
【会員の感想・意見】
*今後ブータン社会の格差は益々広がり、失業・犯罪・薬物なども深刻化するのでは?
*国際社会を知ってしまった若者たちは、一旦国外に出たら国に戻らないのではないか?
*他人や他国に依存する性向も感じられる。
*男110:女100の人口比は統計上の不徹底さからくるのか?何か別の理由があるのか?
*ブータンは、敬虔なる仏教徒の「幸せの国」というフレーズが一人歩きしていたので、正直こん なにも開発の嵐が来ているとは! もう経済の豊かさを知ってしまった以上、後戻りは出来ないのでしょう。知らないでいる豊かさもあったのではと…。
【参考資料】
「ブータンに魅せられて」今枝由郎 岩波新書
「ブータンこれでいいのだ」御手洗瓊子 新潮文庫
「ゲンボとタシの夢見るブータン」アルム・バッタライ監督 ドキュメンタリー映画
記 北澤
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