先月掲載された投稿「地元を歩く/送電線のある風景」を読んで、いたく刺激を受けた。「そうだ、地元、自分も歩こう」と、JR東海の観光ポスターのキャッチコピーよろしく、先週久方ぶりに近所の町並みをあてもなく歩き回った。いたるところで、建設工事やガス・水道・道路等の土木工事が目に入り、日々町並みに絶えず変化が起こっている様子に今更ながら気がついた。また、「そういえば昔、このあたりには都電が走っていた」とか、「子供のころよく遊んだ公園や空き地があったはず」とか、昔のことを次から次へといろいろ思い出した。
その中で、特に懐かしい思い出は、小学校の3、4年生のころ、同級生の友人達に誘われ、小石川植物園(文京区)近くにある小石川白山教会に、日曜日の早朝、毎週通ったことである。自宅から歩いて、少なくとも20分はかかったと思う。数人で教会の日曜学校に通い始めたのであるが、何故か一番長く、2年間ほど通い続けた。礼拝、賛美歌のあと、各学年に分かれ、大学生と思われるお兄さん、お姉さん(当時は非常に大人っぽく見えたが)の先生から、聖書やキリスト教の教えについて基本的なことを学んだ。
そもそも4、5人のいたずらっ子(全員男子)が、教会に通うにいたった理由は、今となってはよく覚えてはいないが、大学生の先生にプールに連れて行ってもらったり、夏の合宿(キャンプ)に連れて行ってもらったりもした。また、教会で行なわれるクリスマスのお祝い会や劇にも参加し、当時としては大変興味深く楽しい体験を得たように思う。残念ながら5年生になると、勉強が忙しくなり(日曜の午前中は学習塾に通うようになった)、教会の日曜学校には行けなくなったが、信仰というより好奇心から通っていたこともあり、代わりに塾に行くことに全く抵抗はなかった(むしろ進んで塾に通ったように思う)。
半世紀の時を経て、現在、毎週土曜日に、立教大学のチャペルで行なわれる朝の礼拝(8時30分から50分まで)に、たまたま一限目の授業を選択した為に参加するようになった。セカンドステージ大学に通っていたころは、チャペルを利用したのは、入学式と修了式の時だけであったが、21世紀社会デザイン研究科に進学してからは、利用できるものは何でも利用ししてみようとの意識から、秋学期の10月から、土曜礼拝に参加するようになった。ところが、当初自分では全く意識していなかったが、小学生の時に2年間日曜学校へ通った経験が、実は土曜礼拝に参加する「今」につながっているのではとも思えてきた。そう考えると何か不思議な「縁」を感じざるを得ない。
趣味で30年ほど続けている太極拳は、朝晩15分ほどの演舞で、体中の老廃物が浄化され、気持ちがリフレッシュする感覚を持つことができる。教会の礼拝は、太極拳のそれとは違って、チャプレンのお祈り、聖書の朗読、賛美歌、パイプオルガンの演奏等が一体となり、気持ちを浄化(より謙虚に、寛容に)させる効果があるように思う。これから益々寒くなる季節ではあるが、昔のころを思い出しながら、しばらく「今」の土曜朝の習慣を続けてみたいと考えている。(7期生北原)
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