授業に意味を見いだせずに職員室のストーブで暖をとっていると「君ら、授業はどうする?」「自分で、勉強するから出ません」。「そうか」と答えて歴史の先生は出て行った。
「なぁ、卒業式でるんか?」「出ない!親にも来るなと言ったし、」「俺もそうする。デモ行くよ」。この様な会話を繰り返していた私の高校時代が終わろうとしていたとき、東京の空では、恋に落ちた中学生のYさんがパステルカラーの雲の中を「ふふふ。気持ちいい~」と飛んでいたなんて。。このギャップが良いよなぁ、、、と一人で頷いています(第13回投稿ご参照)。
それから48年が経過して私の出身校が、この春、第88回選抜高校野球大会に初出場しました。普通の県立高校で、これまでは甲子園とは全くの無縁だった為、本当に驚きました。出場が発表されてから暫くして届いた高校同窓会からの『臨時のお知らせ』によると「開校1920年(大正9年)。野球部は1922年創部。21世紀枠で甲子園に初出場。この数年間では兵庫県大会で3度8強入り。阪神・淡路大震災から20年が経過し、最も被害の大きかった神戸市長田区で地域防災の強化と地域貢献に寄与する人材育成に努め、文武両道を達成している点などが評価され選ばれた」そうです。それでも、試合になるのか!と心配してしまいました。
『臨時のお知らせ』には、選抜後援会事務局の設立と選抜高等学校野球大会出場への募金のお願いが入っていました。「きたよ!きたよ!募金。当然するよね」と相方に冷やかされて直ぐに郵便局から送金しました。先々月、募金の御礼文と出場記念リーフレット及び収支報告書が届きました。それによると募金収入がなんと7400万円、1回戦で敗退したので支出が3700万円に留まり、差引剰余金が3700万円となったとのこと(甲子園出場の力は真に偉大です)。1学年350人だったので15才から80才までの現役高校生とOB&OGの総数は約23,000人。とすると一人当たりは、、、と思わず計算してしまいました。剰余金は、グラント整備、環境安全対策、文化部も含む部活及び課外活動等に使うそうです。「10年に一度でも甲子園に出ると部活の運営は楽になるだろうなぁ。でもまぁ開校約100年で初出場だから、次も100年後の22世紀枠かぁ」と思った次第です。
全く冴えない高校生活だったのに、甲子園に前奏が流れ、歌詞とそれを歌う現役生が映し出されたときに、予想もしない感情にとらわれました。その時、出身校が“母校”に変ったのだと思います。テレビに映し出された現役生や学校関係の皆さんへの感謝の気持ちが溢れ出し、同時に晴れがましい気持ちになりました。卒業以来一度も行くことがなかった母校の校歌を、思いのほか覚えていたことにも驚きました。試合は長崎県の海星高校に2-3で惜敗しましたが、立派な試合だったと思います。母校の校歌が流れた映像がYouTubeにありましたのでリンクしました(ここをクリックしてください)。YouTubeには沢山の校歌がアップされています。一度、皆さまも母校の校歌を検索して聞かれたら如何でしょうか?!
【追記】冒頭の話の続きです。当時、三学期頃になると進路選択や受験相談などを名目に職員室のストーブの前でたむろしていました。叱られることもなく先生や同級生といろいろな話をしました(これが一番の思い出かもしれない)。卒業式は、私のクラスの半数近くがボイコットし、その多くはデモに行きました。学校に戻ると担任の先生が待っていて「おーい。卒業式に出なかったものは集まれ!」「俺から代理で卒業証書授与する」「おめでとう」と一人一人に手渡されました。その光景は今も記憶に残っています。(7期生:杉村)
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(14回からのワンクールは、前回投稿の主要な単語・文章・文意を組み
☆込んだ連歌的な投稿にチャレンジして行きます)
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