今年も気がつけば京都ばかりに来ています。これを「縁」と呼ぶのでしょうか。ここ1、2年「能」を観る機会に恵まれ、いくつかの演目に触れるうちに、「今度は『翁』を観たい、できれば薪能で」という思いが湧いていました。そして向暑のころ、京都・平安神宮で初めての薪能を観る機会が訪れたのです。やはり京都、きっと良い体験ができるだろうと迷いなく出向くことにしました。

平安神宮創建百三十年記念の演目は、金剛流「翁」、観世流「杜若」、大蔵流「福の神」、観世流「平安」という、祝祭の演目が並ぶものでした。夕刻、朱塗りの社殿を背景に簡素ともよべる能舞台が設えられていました。台風接近にもかかわらず空には龍雲がたなびく光景、寿ぐ舞台に相応しい場が用意されています。

「翁」(左下写真)は能にして能にあらず、と言われるように、神事に由来する祈りとして古来より伝承されてきたと言われています。舞台上で面をつけるのは、この「翁」のみと言われ、翁が神格を得るという「儀式」が舞台上で厳かに繰り広げられます。

朗々とした声を響かせ、悠然と現れた翁は、風格をたたえ金剛流宗家その人が翁の化身となったかのようでした。それはまるで中世の空気を舞台に呼び戻すかのような世界観でした。「翁」上演後、平安神宮の神火が松明に灯され、薪能は夕闇とともに能舞台をより鮮やかに浮かび上がらせていきます。続く「杜若」は、伊勢物語に取材した在原業平の恋の場面。業平の詠む恋歌が、人間のみならず杜若の花の精にも届き縁を結ぶ力になる物語で、華やかな装束に惹き込まれました。

寿ぐ舞台はともすると静粛で堅苦しい雰囲気になりがちですが、この薪能は違いました。演目と演目を繋ぐ「ナビ狂言」役の二人が観客を舞台にぐっと引き寄せる立役者となっていたのです。「明日は台風で、ロームシアターになってしまった、観世流翁のチケットが全く売れておりません。」と嘆いてみせたり、「あの福の神は、演技が上手だったのか、ちっとも面白くなかったぞ」と茶化してみたり。名優も人間国宝もあったものではありませんが、そこは狂言師、芸の真実も伝えながら解説を添えていきます。ナビ狂言の名人だからこそ言える台詞、名人だからこそ笑いがとれる妙技に、すべての演目を心から愉しむことができました。

世阿弥が足利義満に見出され、猿楽が「貴人賞玩」の能へと変容したといわれる能楽ですが、この薪能の舞台に息づいていたのは、身分に関わらず、観客の誰もが楽しめる「衆人愛敬」の精神―観阿弥・世阿弥親子の思いなのかも知れません。なんだか一人前の能の見方ができているかのような錯覚にも陥ります。

「カルビーのポテトチップスはナフサ情勢で白黒の包装になってしまったけれど、この舞台のように色彩に溢れた鮮やかな平和な世界であってほしいなあ。」ナビ狂言二人の結びの言葉に、この薪能との良縁にそっと深い思いを寄せる京都の夜でした。(7期生 吉岡)

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