毎年、春先から庭に蔓延る「ドクダミ」との戦いがある。繁殖力が強くどんどん生息域を広げていく。土を深く掘って根をとっても、わずかに残った小さい根が、何倍にも伸びて広がり、元気なドクダミが出てくる。しかし、今年の私は、「ドクダミ」の花を愛おしく感じるように変わった。
私の大好きな詩画作家「星野富弘」さんが、今年4月に78歳で亡くなった。星野さんは、中学校の体育教師だった24歳の時に、部活動の指導中のけがで手足の自由を失った。長い病院や故郷での闘病生活を支えてきたのは、母の献身的な看護であった。頸椎損傷で首から上しか動かないため、教え子や友人への手紙に、筆を口にくわえて字を書き、余白に花を描いた。それからも身近な四季の花々を見つめて描き、言葉を添えた彼の作品に多くの人が勇気づけられた。人間の限りない強さとやさしさ、小さな命をいとおしみ感謝の心が感じられ、私も多くのことを教えてもらった。星野さんが描いた「ドクダミ」の花の絵に、次の言葉が添えられていた。
『知らなかったよ/こんなにきれいだった/なんて/すぐそばにいて/知らなかったよ』『おまえを大切に/摘んでいく人がいた/臭いといわれ/きらわれ者のおまえだったけれど/道の隅で/歩く
人の足許を見上げ/ひっそりと生きていた/いつかおまえを必要とする人が/現れるのを待っていたかのように/おまえの花/白い十字架に似ていた』
私は、コロナウイルス感染拡大による自粛生活3年の間に、二人の母(実母、夫の母)を亡くした。介護施設や病院で、思うように面会ができないままに旅立ってしまった。遺品整理すると、私が20年以上前の母の日にプレゼントした「星野富弘詩画集」が出てきた。母への感謝の気持ちを、普段なかなか言葉に出して伝えることができないので、星野さんの作品の力を借りたのだ。母は、「とても良い本」と喜び大事にしてくれた。
今年も母の日がやってきた。位牌に向かい感謝の気持ちを伝えた。同日、私の亡き母への思いに重ねるように、朝日新聞「天声人語」と上毛新聞「三山春秋」が、星野さんの訃報を悼み、彼の詩を引用して載せた。
朝日新聞「天声人語」
『神様がたった一度だけ/この腕を動かしてくださるとしたら/母の肩をたたかせてもらおう/風に揺れる/
ぺんぺん草の実を見ていたら/そんな日が/本当に来るような気がした』
上毛新聞「三山春秋」:
『私は傷を持っている/でもその傷のところから/あなたのやさしさが/しみてくる』
『この道は/茨の道/しかし 茨にも/ほのかにかおる花が咲く/あの花が好きだから/この道をゆこう』
星野さんの故郷、群馬県みどり市(旧勢多郡東村)にある「富弘美術館」に、どうしても行きたくなった。得意ではない運転で、ナビを頼りに1時間半かけやっと到着した。草木湖畔に建つ美術館は、中のロビ―からすべての部屋が円型で角がなく、両手を広げて迎え入れてもらった気がした。作品を鑑賞し、休憩室から外の景色を見ていると、星野さんの子ども時代や車椅子で田舎道を歩く姿が目に浮かんだ。
「ドクダミ」は、薬用として十薬と呼ばれ、ドクダミ茶として飲用に利用された。ドクダミ茶は、田舎では自家用に乾燥させて作っていた。「ドクダミ」の花言葉は、『白い追憶』、『野生』である。
『白い追憶』は、転んだときにドクダミの葉を揉んで傷口に当ててもらったという、母親との思い出を懐かしむことにちなんでいるそうだ。『野生』は、特別な手入れをしなくても元気に育っていく、ドクダミの生命力の強さを表している。これからは、母の愛を感じながら、「ドクダミ」から元気をもらって生きたいと思う。(7期 笛田)
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