東博で開催中の中尊寺金色堂展を見てきた。昨年秋、友人と東北旅行に行き実際の金色堂を見てきたのだが、その思い出も手伝って行ってみた。
武士が勃興し始めた平安時代末期、奥州平泉で藤原清衡、基衡、秀衡の藤原三代が栄華を極めたと言われ、その清衡によって1124年ころに建立されたのが中尊寺金色堂だ。清衡の中尊寺建立の趣旨は、11世紀後半に東北地方で続いた前九年・後三年の役の戦乱で死んでいったあまたの霊を敵味方の区別なく慰め、辺境の地とされていた「みちのく」に、仏の教えによる平和な理想社会を作るというものだったと言われている。戦乱で父や妻子を失い骨肉の争いを余儀なくされた清衡自身の非戦の決意でもあった。平泉は約100年に渡り繁栄し、みちのくは戦争のない平和な時代だったが、戦の火は再燃し、四代目泰衡は頼朝の圧力に屈し義経を打ったが、自らも頼朝に攻められ1189年奥州藤原氏は滅亡した。清衡の非戦の決意はあっけなく打ち砕かれてしまった。
時代は下り、江戸時代前期、松尾芭蕉が此の地を訪れ、
「三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一理こなたにあり。(中略)偖(さて)も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢(くさむら)となる。(中略)笠打敷て、時のうつるまで泪を落とし侍りぬ。夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡 」
と、名作『おくのほそ道』に書いた。芭蕉も度重なる戦で多くの尊い命が虫けらのように消えていったことに、思わず「涙した」のだろう。
それから1000年近く経った今、翻って今の世界を見ると、なんとも悲惨な光景ばかりだ。人類の英知は戦争をなくし、平和な世界を作ることが出来なかった。中世の清衡公は平和な理想社会が訪れることを祈念して中尊寺を建立したが、人間が人間を殺すという、最も野蛮な行為はいまだに続き、いや、ますますエスカレートして、果てることのない殺し合いが世界中で続いている。芭蕉翁が涙した「兵ども」の戦い、中世の一対一の殺し合いが正しいとは言わないが、今は大量破壊兵器という多くの人間を一発で殺すことが出来る兵器があたりまえ。また、何十万、何百万人かわからないくらいの人間をアッと言う間に死に至らしめ、そして地球自体をも破滅させるような核兵器がすでに何千発、何万発と存在する。「夢の跡」どころか、重装備の軍隊、いやそれ以上の大量殺人兵器が世界中を闊歩し、「より殺傷能力の高い兵器」の開発や、それを売りこむための宣伝がまかり通っている現実。そして核兵器禁止条約にさえ参加しない唯一の被爆国、日本。
今も世界中のあちこちで、殺し合いが行われている。昨日も、今日も、明日も。目を覆わんばかりの光景が、毎日ニュース放映されている。イスラエル建国後難民となり、36歳で爆殺されたパレチナ人作家カナファーニーが残した小説、『ハイファに戻って』の一節、「この悲劇が自分の身に起こったらと想像してくれ!」。
(7期生 佐野英二)
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