メタバースからAIアヴァターへ
北山晴一(立教大学名誉教授、元RSSC担当教員)
今年もホームカミングデーがやってきましたね。RSSC在職中は、「俗世間と認識論」など、答えよりも問いを重視する授業をもっていました。そんな成り行き上、この欄でも、みなさんへ「難問」を投げかけてみたいと思います。昨年はメタの話でしたが、今年は生成AIとアヴァターをめぐる三題噺し。
まず、今年の3月、縁あってロボット工学の第一人者、浅田稔氏(大阪大学名誉教授)から最近のロボット事情を聴いたこと。浅田先生によると、いまのロボットは8割か9割を完成させた後に、生の人間とのコミュニケーション訓練をさせることによって人間に近づけていくのだそうです。振り返れば、その後、世界中で話題になった生成AIの手法とはこれか、と納得しました。
それから数か月後、パリのラジオで耳にした話が、題して「本人死亡後のアヴァターに法的人格を認めるか否か」というもの。これが2つ目の話題です。いまのAIアヴァターは、故人が残した膨大なデータをアルゴリズムが読み解き、「新たな議論や、態度、感情や行動のパターンをつくり出す」ことができるようになっています。たしかに、本人死後も本人そっくりのアヴァターがヴァーチャル空間に生き残れば、故人の遺族や友人にとってはうれしい話ですが、しかし、法的にはいろいろ課題があるようです。たとえば、まず、本人死後のAIアヴァターに与えるべき人格とはどのようなステータスなのか。故人と同様の人格権(人権)を享受させるのか。そうした人格権をどう保護するのか。もし、アヴァターが何かの犯罪や抗争に関わった場合に、どんな形で責任を取らせるのか・・・。悩みは、尽きませんね。
アヴァターをめぐる3つめの話は、ポルトガルのノーベル賞作家ジョゼ・サラマゴの代表作『リカルド・レイスの死んだ年』(1984年)について。AI登場以前のアヴァターともいうべき存在を扱って秀逸です。舞台は、1936年のリスボン。フェルナンド・ペソア(当時のポルトガルを代表する作家)の死を知り亡命先のブラジルから帰国した医師リカルドがペソアの亡霊と出会い会話を交わす・・・といった調子で話が始まるのですが、まず驚かされたのが、作中に現れる登場人物の設定。というのも、リカルド・レイスそのものがペソアのでっちあげたペソアの複数の分身=権現(アヴァター)のひとつであるばかりか、サラマーゴの小説の中ではリカルドは自分の創造主ペソアの亡霊(これもアヴァター)と出会い、二人して、当時のリスボンの雰囲気を背景に第2次世界大戦前夜の欧州情勢について見解をぶつけ合うからです。なんとも頭の混乱する話ですが、これが三題噺しのオチのつもり。オチにならないと言われそうですが、すでに紙幅が尽きました。おあとがよろしいようで・・・。