上田信先生が、2023/7/11講談社から「戦後日本を見た中国人」を上梓された。是非皆様にご一読をお勧めしたく、以下私の拙い感想を綴る。

 はじめに、1607年に明代の中国で編纂された民間百科事典に登場する日本人像に度肝を抜かれる。頭は、月代のように剃り上げているが、ほぼ裸、裸足で凶暴な姿。「とにかく凶暴な日本人」と日本人のステレオタイプとして固定されていた。1523年におきた「寧波事件」大内氏と細川氏の使節が引き起こした事件であるが、日本人にとって「武士の道」とされるが、外国から見た場合は理解し難いものだった。
 明朝がとった朝貢貿易と海禁のため、倭寇が暗躍する。流逋の存在も大きい。1556年布衣の鄭舜功は、揚宜から「日本国王に倭寇対策を行わせる」任務を与えられる。広州を出港し、台湾沖、南西諸島を通過し、日本領域に入ったところで防風雨にあい豊後に入る。大友氏の下、彼は豊後で6ヶ月を過ごす。そこで自らの見聞とじかに接した人々の感触から「日本人は理を持って説得すれば話が通じる」と見込んで、大友氏の政庁に働きかけた。続いて彼は、京都の交渉相手として天皇とその周辺に的を絞る。当時の実力者、三好長慶に政治工作を行った。
 また「日本一鑑」には、雑多な記述が興味深い。「釣魚島」近辺のサメ、徳之島周辺のトビウオ、庶民の生活習慣、日本刀の精神、切腹の作法、男女の人口比まで書いている。鄭は非常に好奇心旺盛で博学的な関心をもった人物であり、著者の上田先生の姿と重なる。
 鄭が来日した1556年は、日本は戦国時代であり、美濃の斎藤道三が敗死し、鄭が帰国した翌年大内氏は毛利氏に滅ぼされる。桶狭間の戦いは1560年である。戦国時代の歴史は、応仁の乱から関ヶ原の合戦という「陸」の物語でなく、実は日本からの銀の輸出と海外からの鉄砲の弾の原料となる硝石、鉛の輸入を主軸とする「海」の物語であったと新しい見解に興味をそそられる。


 本書で鄭が「凶暴にして秩序ある日本人」という先入観にとらわれない、好奇心の強い公正なルポを「日本一鑑」に残していることを知り、不遇な運命に翻弄された鄭舜功が俄に浮かび上がってくる。
 本書では、明から別な使節も送られていてライバルとなる蔣洲、シナ海の密貿易商の統括している王直、足利将軍に代わって京都武家政権を担っていた三好長慶、日明関係で重要な役割を果たした守護大内氏と細川氏など魅力的な人物が多く登場する。是非大河ドラマで「戦国日本を見た中国人」を見てみたい。
 本書は、歴史に詳しくない私にも丁寧な時代背景や説明がされているので、読み飽きさせない。鄭舜功の「日本一鑑」は原文ではとても読むことが出来なかった私にも、緻密で膨大な資料とともにワクワクとした興味をそそる流れである。また本書にある「帰趨を決する」「推戴」「猖獗を極める」「無辜の民」などこの頃聞くことがなくなっている難解だが美しい日本語が散りばめられていて日本人としてこのような言葉をずっと大事にしていきたいと改めて思う。


15期生 岩橋正子