「小さな自慢が、山ほどあります」
これは我が街:栃木県小山市が昨年公募で選定したキャッチコピーとロゴマーク(右写真)なのだが、「自慢するほど語れるものはいくつあるか」と問われると、答えに窮するのが実情である。そこで、今回はコウノトリと渡良瀬遊水地に絞って“学び直し”をしてみることにした。
野生のコウノトリについては、日本国内では1971年に絶滅したが、2005年に兵庫県豊岡市で試験放鳥が開始され、小山市に国の特別天然記念物が飛来するようになったのは2014年頃からとのことだ。そして2020年には渡良瀬遊水地に設置された人工巣塔で、野外コウノトリのヒナが誕生。東日本初の事例となったのである。
渡良瀬遊水地は小山市の南西端に位置し、市内を流れる思川と巴波(うずま)川が渡良瀬川に合流する低湿地である。面積は栃木・群馬・埼玉・茨城の4県にまたがる3,300haの我が国最大の遊水地で、2012年7月にはラムサール条約湿地に登録されている。では、なぜ関東平野のほぼ中央にこの遊水地が造られたのか、振り返っておくことにしよう。
明治の中頃、栃木県北西部の足尾銅山から有害物質(鉱毒)が渡良瀬川に流れ込み、流域の農漁業に異変が発生、明治20年代の大洪水により、大量の土砂が流出して被害が一気に拡大。のちに「公害の原点」と言われる「足尾鉱毒事件」である。
その後、鉱毒被害の防止策の一つとして遊水地化計画が打ち出され、この地にあった谷中村を廃村にして、1910年(明治43年)渡良瀬川改修工事が始まり、1922年(大正11年)に遊水地が完成した。しかし、昭和に入っても洪水は繰り返し、様々な治水・利水対策上の機能が段階的に加えられ、現在に至っているのである。[右写真出所:古河市HP]
立春が近づく2月の冬晴れの日に、人工巣塔のある渡良瀬遊水地:第2調整池を訪れた。桜並木が整備された堤の上からは広大なヨシ原が一望でき、南に富士山、西に浅間山と赤城山、そして北には日光連山となかなか見事な眺望が楽しめた。そしてコウノトリのお宅までの距離は約400m。私のカメラの貧弱な望遠機能では歯が立たないが、双眼鏡なら観察可能だ。白と黒がはっきりしている翼を広げると200~220cmになるという。立った状態での高さは100~110cm。体重は4~5kg。4~5歳の子供とほぼ同じで、まさに湿地生態系食物連鎖の頂点に君臨するかなり大きな肉食の鳥なのだ。
地元では3年連続のヒナ誕生に期待が膨らんでいる(上左写真)。次世代が育つプロセスはとても魅力的だ。ここが彼らの子育てに最適な環境であることを祈りたい。コウノトリが個体数を増やすためには、エサが豊富であることが必須条件だそうだ。3月には恒例の“ヨシ焼き”(上右写真)が行われる。これはヨシに寄生する害虫の駆除や、ヨシ原内の樹木を焼くことで樹林化を抑制するとともに、絶滅危惧種を多く含む湿地植物の良好な生育を促進するなど、湿地環境の保全に重要な役割を果たしている。[上左右写真出所:小山市HP]
足尾銅山は1973年(昭和48年)に閉山したが、鉱毒を処理する浄水場は今なお稼働している。また、大量伐採と亜硫酸ガスによる煙害で、森が失われた足尾の山に緑を取り戻す運動も継続中だ。渡良瀬遊水地にコウノトリが定住できるということは、長きにわたる様々な努力の結果であろう。足尾鉱毒問題を国会で取り上げ、明治天皇への直訴に及んだ地元選出の代議士:田中正造は晩年に次の言葉を残している。
「真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」
1912年(明治45年)に彼の日記に書かれたものだが、昨今話題のSDGsと似た響きを感じてしまう。この100年間、私たちは何をしてきたのか、またこれからは何をすべきなのか。傷んだ大地を修復するには、途方もない時間と労力が必要なことは間違いないのである。
(7期 石巻)
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