ボケ防止を心がけることは必要だが、自分の手に余ることに取り組むのは有益だとは言われまい。あまりにもわからないことをわかろうとしていると、わかることまでわからなくなる気がする。「ドイツ語ができるのだから一緒にやりましょうよ」と誘われ「ほとんど忘れているので無理です」と言えなくて、「共通(コイネー)ギリシア語」を学び始めて4年になる。アレクサンダー大王が征服した諸地域で使われた「共通語としてのギリシア語」で、新約聖書の原典もこの言語で書かれている。語学好きでもない私がこんなことに取り組むことになろうとは、想像したこともなかった。

ギリシャ語関連の本

1987年の新共同訳聖書の翻訳者の一人でもあった柴田先生という方から、8月と12月を除く月1回、教えていただいてきた。生徒は三人だ。メンバーの顔で、お茶の水キリスト教センタービル会議室の使用が許されている。他の希望者もいて始めた講義だったそうだが、続かず二人になってしまった時に私が加わった。いきなり大貫隆著の教科書「新約聖書ギリシア語入門」の第3講をやっていて、初めの頃は「私にはあてないでください」と言って必死でメモを取るばかりだった。何か月も経ってやっと授業に追いついた。そうしてなんとか教科書をやりきった後、「マルコ福音書」を翻訳していくことになり、逆引き辞典も買うことにした。原形を考えるのに時間がかかり過ぎたからだ。

今も、手書きのギリシア語のアルファベット表、動詞活用表、青いギリシア語聖書、二冊の辞典、教科書、うちにある三冊の聖書を机にぐるりと並べて勉強を始める。アルファベット表で確認しながら辞書を引き、動詞の活用表で赤字のカタカナの語尾を見る。表には、横には左から一人称単数、二人称単数、三人称単数、一人称複数、二人称複数、三人称複数形、縦には様々な時制と態の活用語尾が並んでいる。一語の動詞の中に主語と時制が示されているのだ。たとえば「セスセ」と発音する語尾は「二人称複数の未来形」、「あなたたちは~だろう」という意味になる。

マルコ福音書14章27節に「スカンダリスセーセスセ」という発音のギリシア語の単語が載っている。辞書にはこれは受動態だと書いてあるが、古代にあったという中動態「ある出来事がその身に起こる」という感覚がふさわしい気がする。ここは、「あなたたちは私に躓(つまず)く」と訳されているところだが、動詞の原形「スカンダリゾー」は、語源から見て「躓かせる」というよりは「罠にかける」という意味だそうなので、ゴキブリホイホイに引っかかるゴキブリみたいに「罠にかけられる事態にハマっちゃう」未来にいる私たち、という光景が目に浮かぶ。彼に引っかからないことで別の罠に引っかかっていく姿、逆にモヤモヤしながらも彼を通り過ぎることができなくて引っかかっている姿も思い浮かぶ。「スカンダリスセーセスセ」とはまさに私に言われている言葉に思える。イエスが語る場の空気が流れてくる。このごろ、こういう形で学びは報われていると感じることがよくある。

コロナ禍で、今年は柴田先生の講義は4回しかなかった。先生は昭和3年生まれの方なので、ご健康が特に気遣われて休みにしていた。しかし、先生がコロナに負けたくないから気をつけてやりましょうとおっしゃったので、集まることになった。次回は11月11日、この原稿がWEB上に置かれる日だ。自宅待機が長かったのでかつてない分量、マルコ14章1節から31節までを訳しておくと約束していた。本文をノートに写すのに2時間15分、翻訳は少しずつ9日かけて計20時間半でできた。これは私の最速記録だ。
相変わらず同じ単語を何度もひいてしまう。でも、ずいぶんこの世界に馴染んできた。
(7期 安孫子)

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