聖書の思想から

月本昭男

 人がひとりでいるのはよくない。(旧約聖書『創世記』2章18節)

 この単純な言葉には、旧約聖書を残した古代イスラエルの民の人間観がよくあらわれています。「小人閑居して不善を為す」(『礼記』大学篇)というのではありません。むしろ「人間は社会的(ポリス的)動物である」と述べたアリストテレスの言葉に近いでしょう。人は誰しも他者との交わりのなかに生き、生かされる存在である、ということです。哲学者ならば、人はそれ自体で人間なのではない、人は他者との関係性において人間たりうるのだ、と表現するかもしれません。旧約聖書はそのことを、抽象的な術語を用いずに、最初の人間(アダム)を造ったときの、神の素朴な感想として伝えました。

 この言葉は「神の言葉」として伝えられましたから、物語からはなれて、人間に対する戒めとしても読まれました。「一人よがり」を戒めるだけではありません。誰をも一人にしておいてはならない、という勧告です。それが、寡婦と孤児、よそ者である寄留者たちといった、身寄りのない人たちの保護を定めるモーセの律法に結晶しました。

 この言葉に神の約束を読み取った信仰者たちもいました。彼らはこれを「わたしはあなたがたとともにいる」という神の言葉(旧約聖書『イザヤ書』41章10節ほか)と重ねました。はるか後代、イエス・キリストが弟子たちに語った「わたしはあなたがたを孤児とはしない」(新約聖書『ヨハネによる福音書』14章18節)という約束も、これと響き合うことになりました。