東口広場には生涯5千曲作曲したという古関裕而氏が笑顔で電子オルガンを弾くモニュメントがある。モニュメントからは30分毎に古関メロディが流れる。西口広場にも時計のモニュメントがあり鐘の音と共に古関メロディが流れる。ここは、西は奥羽山脈、東に阿武隈高地に囲まれた盆地、くだもの王国福島県福島駅である。東日本大震災直後に赴任したサラリーマン生活最後の地である。

会社は駅前の住まいから車で30分の小高い丘にあった。初雪の頃決まって普通タイヤのままで坂道を登れない車がいて、大渋滞したのを思い出す。退社後は駅近くの店での夕飯が常だった。週末は近くの温泉や蕎麦屋を巡った。会津や喜多方また米沢や仙台も日帰り圏内、三春の満開の桜は脳裏に焼き付いている。散歩がてらの花見山公園も忘れられない。もちろん遊んでばかりではなく、セルフヘルプなので掃除洗濯料理し料理教室にも通った。インストラクターの綺麗な女性と食べる男の料理は格別に美味しかった。蕎麦打ちを習い道具を買い揃えたのもこの時期だった。

単身赴任が始まったのは30代半ば、会社の単身赴任寮に宿泊し、週末帰る生活だった。その後も通勤可能範囲の勤務地だったが、遅くまでの仕事が多く、勤務地近くに宿を確保し週末帰る生活を続けたが、50代半ばに東北に赴任し最後が福島だった。

これまで東日本大震災被災含め災難を経験してきたが、年初からのコロナ禍は世界規模で災難の質が違う。古い例えだが「亭主元気で留守が良い」実践者としては、自粛の座敷牢生活は辛い。最初は自宅時間が長くなり些細なトラブルが発生する。特に日に三度の食事はその要因だった。しかし早々に単身赴任の精神(自助)が大事なことに気がついた。幸いに我が家は購入惣菜中心の生活、食料品店は封鎖することなくお惣菜を売っている。それを主体的に調達し、食べたい料理は自分で作ればいいのだ。今では調理レシピも増えてきた。しかも近所の専門店の「テイクアウトできます」は、食卓のレパートリーを増やしてくれる。台所に立つ時間も増え、我が家の新生活様式は定着してきた。

予定通りなら今頃東京オリンピックの閉会式が終わり、パラリンピックがはじまり、車椅子ラグビーや陸上競技、マラソン観戦を楽しみに待つ時期だった。来年のオリンピックは開催できるか。そして聖火リレーは福島からスタートするか。

「みんなにエール 栄冠は君へ、ふくしま💛」という駅弁が福島駅などで販売されている。朝の連続テレビ小説と夏の甲子園大会歌からの命名で、古関裕而氏にちなんだもの。高野連の粋な計らいで、今年の夏の甲子園は春センバツの交流試合が行われ今週閉幕した。ウィズコロナの応援歌として陸上自衛隊の歌姫、鶫真衣(つぐみまい)が、全国高等学校選手権大会歌「栄冠は君に輝く」(☜クリック)を唄っている。毎夏聞くこの歌は時代を遡りエールをもらう。厳しい残暑とコロナ禍を乗り切りたい。(7期生 榎本)

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