本来ならば、数ヶ月後に迫っていたはずの2020東京オリンピック・パラリンピック開催は、新型コロナウイルス感染拡大により1年の延期となった。
2013年9月、2020東京オリンピック・パラリンピックが決定し、レガシーの名のもと「都市鉱山」と銘打って不要になった携帯電話や小型家電等を大勢の方からの賛同を得て、必要金属100%の収集に達成して造ったトップアスリートへの金・銀・銅のメダルは「新たな2020」の開催を待つ事となってしまった。延期された2020東京オリンピック・パラリンピックは、果たしてどのような記憶として残るのだろうか。
過去をたどれば、1964年(昭和39年)の東京・1972年(昭和47年)冬季札幌・1998年(平成10年)冬季長野とオリンピック・パラリンピックと日本で開催されたが、私の地元札幌1972年冬季札幌オリンピック開催決定後は、「100万人都市札幌」へと目まぐるしく開発が進み、開会式が行われる真駒内会場へのアクセスは、北海道初の地下鉄(タイヤで出来た車輪)が開通し、見慣れていた老舗書店はオシャレなデパート(PARCO)へと変貌して行った。
当時は、日々変わりゆく街並みに「世紀の祭典」が訪れる期待に溢れ、板垣退助の100円札から100円硬貨へと変わりつつあるなかで、聖火がシンプルに大きく描かれた100円の記念硬貨の発行は、子供ながらに時代の変化とオリンピック・パラリンピック開催に向けての期待を大きく膨らませた。記念硬貨は、1970年(昭和45年)EXPO70大阪万博から、1972年(昭和47年)冬季札幌オリンピック・1975年(昭和50年)EXPO75沖縄万博と発行される度に父に両替してもらっていたのだが、3年前に亡くなった父の遺品として、いびつな形のポーチに入った記念硬貨を母から譲り受けていた。
大切に集めていた記念硬貨を、どうしたら良いのか考えあぐねていたそんな時、「お客さん、これお金じゃないですよ」とタクシードライバーから支払った硬貨を返されてしまった。それは数日前に息子から渡された、「2002年(平成14年)FIFA World Cup Korea /Japan」の記念硬貨だった。無意識にお財布に入れていたので、うっかり出してしまった。記念硬貨は、流通として機能を果たさない訳ではないだろうが、敬遠されてしまったのだ。
今や支払時は、ポイントや還元率が高い電子マネー・スマホでの決済が進んでいるが、やはり貨幣は使えてこそ価値がある。後回しにしていた記念硬貨の行方を、今のうちに「高価な硬貨」?として換金し、疲弊している経済へ何かしらの形として流通させる方が良いのかと思える。記念硬貨は、まだ記載の金額に最低でも換金できる。だが、本人にとって何年も掛けて集めた趣味の「お宝」は、家族には理解してもらえず、自分の死後に捨てられることもあるだろう。
そんな心配をする人のために、「お宝」の見積もりサービスがあり、中高年のオタクたちの就活支援として「生前見積」として残しておけば、その時が来ても同じ趣味の方へと、後へ引き継げるというものだという。大切に集めてきた物が負の遺産となることなく、当事者が判断力のあるうちに納得する方法で解決しよう。
本人だけのお宝を、さてあなたは今? 今後?どう生かしましょうか・・・。
(7期生 梅本)
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