雲海

秋はあけぼの(書きまちがいではなく)山々に囲まれた安曇野は日の出が遅く、空はすっかり白んでいるのに、太陽はまだ顔を出さない。時刻は朝の7時ころ、標高800メートルの大峰高原にある職場を目指して林道を走る。途中急に視界が開けて、谷を隔てた向こう側にも山が見えてくるから、この道は山肌に巻きつくように伸びているのだろう。しばらく行くと向こう側に黒く見えていた山々の間から光が差し込み、さっきまで谷を覆うように沈み込んでいた雲が一斉に輝きはじめる。

雲が厚くかかっている時ほど反射が強く、眩しさの中を走る爽快さがたまらない。一瞬飛行機に乗っているような高揚した気持ちになる。ひと昔前の人なら向こうの山まで舟を漕いで渡れそうだと思ったに違いない、古人が雲海という言葉に込められた思いが伝わってくる。

夏は夕暮れ、有明山の向こうに落ちた太陽が安曇野の空を赤く染める。このあたりは北アルプスがすぐ近くに聳えているため、朝とは逆に、空がまだ明るいのに太陽が見えなくなる。秋になればそれと同時に釣瓶を落としたように急に暗くなってしまうし、一年を通じて余り夕焼けを目にすることがない地域だと聞いた。それでも日没の遅い夏の間だけ、時折マジックアワーに遭遇する。

遠くまでさえぎられることなく続く大きな空が、黄、橙、赤、紫、青のグラデーションに染まり、多分息をつくのを忘れて見入っている。いつまでもこの空を見ていたいという祈りがこもってしまう。次の息をつく頃にはもう色の配分が変わり、瞬く間に群青に溶け込んでしまうのだから。時間と時刻とは違うことを気付かせた夕焼けは、記憶の中の留まり色あせることは無いと思う。自然は時を刻んでいる。

木々を染めていた葉が風に舞う頃、白馬の山々は初冠雪を被り、冬の到来を告げる。冬の通勤は淋しいものと思っていたがそうでもなく、生い茂る葉に隠されていた景色が広がり目を楽しませてくれる。例えば朝日を浴びた木々の影が道路に落ち、黒と白の縞模様を描き出すのもそのひとつ。まるでバーコードの上を走っているかのようでおもしろい。もし車がコードを読み取ってメロディーを奏でたら楽しいだろうと考えていると頭の中で曲が流れ始める。

その日の気分によって「やーまはしろがね~」だったり「さぎりきーゆる」だったり、いつの間にかクラシックになったりしながら、職場に滑り込む。太陽の出ている時間は短いけれど、木漏れ日のさしている時間が長く、降り積もった雪や人の心を明るく照らす。そこには厳しい冬を乗り切るための冬の計らいがあるのかもしれない。

そして春は水鏡。枯れていた田んぼに水が引かれ、大きな湖が出現する。ある日突然現れるから、わあお!思わず感嘆詞が口をついて出る。まだ田植えをする前、鏡のような水面に映るアルプスの雄姿。安曇野を代表するような景色が現れる。山だけでなく雲や天から降りている天使のはしご、途中で何度も車を止めてしまう、寄り道が多い春の通勤。

長野県北安曇郡池田町にプチ移住して1年あまり。一日として同じことがない自然の姿に見とれながら、職場である八寿恵荘に通っています。この宿での奮闘記を書くつもりでしたが、通勤途中の景色があまりに美しく、一人で見るにはもったいないくらいなのでここに紹介しました。この胸のトキメキが少しでも皆様に伝われば幸いです。(七期生 森部美由紀)

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