昨年4月に横浜国立大学(YNU)環境情報学府博士課程に転身した私は, 20歳代を中心とする10数名のゼミ生が所属する30畳ほどの研究室で呻吟する毎日を過ごしている. 研究の背景や現状分析には秀でてはいると自負するが, ライフサイクルアセスメント(LCA)・産業連関表・心理統計学等を駆使した研究手法に関しては, 息子や娘ほどの年齢差のある他の研究員から教えられることが多く, 新領域の知見を学ぶ困難さを身にしみて感じる.

今日こうしてYNUの広大なキャンパスに身を委ねる自分の姿を57歳で早期退職した2014年春に誰が予想しただろうか? まだリンダ・グラットンの『Life Shift』は発表されていなかった.

その春, websiteで偶然目にしたRSSCへの入学が研究者への途を辿る始まりであった. 私に限らず長い社会人経験を経て大学などに学びを求めて参集する人びとにとり, 厄介な現実的課題は, 染み付いた社会人の垢を落とし, 研究の「作法」を身につけなければならない点にある.

RSSCでの経験は垢にまみれた身を浄化し, 「作法」習得への手掛かりを与えてくれた. 修了論文執筆の作業も産みの苦しみを味わいつつ, 実に愉しい知への旅を体験した. テーマは「炭坑の原風景と石炭政策の変遷~野見山暁治と有澤広巳の時代」.縦糸に郷里筑豊地方の産炭地政策の歴史を, 横糸にはその地で生まれ抽象画の大御所となった文化勲章樹受勲者で県立高校の大先輩にあたる画家の生涯を織り込んだ野心作(?)であった. 今から見れば論文の体をなしていない未熟な報告書であるが, 調査文献収集のために足繁く通った池袋図書館の地下書庫の匂い(フェチズムを理解する), 画家へのインタビューや田川市石炭記念館などへの訪問は, 経済的交換からは遠く離れたところに位置する社会的価値に触れる貴重な時間となった.

RSSC修了後本格的な研究という進路を考え始めた頃に, S先生から21世紀社会デザイン研究科(21SDS)への進学を示唆された. のちに分かったことであるが, 21SDSとRSSCの設立にあたっては, 共通する数名の立教大教諭が協働してその設計に関与しており, カリキュラムにも共通する点が少なくなかった. こうして第1食堂前内庭でとるランチは更に2年続くことになった.

私の前後にも同様な進路選択をした方々がいる. RSSC経由21SDSの組み合わせが, ポストRSSCの多様な3rdステージの1つの可能性であることは, もはや疑いのないところであろう.(7期生 黒田)

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