「サンタさん 海水パンツ 忘れるな   とても暑いよ アルゼンチンは」

この31文字は朝日新聞に1990年2月に載った私の次男のものです。南米生活を語る一つの象徴になると思い保存していました。日本では想像出来なかった南半球、特に長く生活したアルゼンチンルゼンチンの「不思議」を紹介したいと思います。

昨年12月に、G20という国際会議がブエノスアイレスで開かれました。そもそも、何の20番に選ばれているの? しかも議長国? 理由は20の中にIMF(国際通貨基金)が入っており、各国の理解が必要だからです。現在、金利は年率40%と危機的状態でIMFの援助が必要です。アルゼンチンは日本と時差が12時間、季節が真逆で寒暖差20度という地理的条件です。遠距離を実感するのはブエノスアイレス事務所と東京の実家のドアツードアで36時間かかります。飛行時間だけでも27時間を超え、往復するだけでカレンダーは5日も進み、何より自費で往復航空券を買える距離ではありません。このような環境ですから、仕事で呼ばれない限り、嬉々として日本へ一時帰国とはいきません。おかげで真夏のXマス・正月を何度も過ごすことになりました。

経済ではスペイン・ポルトガル・イタリア・ギリシャなど問題にならないブラジル・ベネズエラ・アルゼンチンと汚職とハイパーインフレの大国が南半球には揃っています。私は1989年、アルゼンチンがインフレ率5000%・為替下落率10000%を記録し、その結果、国が債務不履行(デフォルト)を宣言する経験をしました。日本進出企業の多くが撤退し、日本人学校の生徒数は130から25に激減しました。ハイパーインフレのもとタクシーメーターは通貨単位でなく数値で表示され、随時変更する換算表が別途使用されます。コーラの販売機は通貨では価格変更が追い付かず、メダルを購入するシステムですから自動販売機の意味がなく普及していません。

ハイパーインフレのもと、企業が存続する方法はモノを売れば売るほど損をするという原則を知ることです。本社への営業報告に「前年比2割」としても「2割減」と理解される経験をしました。経済活動が停止している状態で収入を確保する方法は「金融業」です。企業存続のための収入は「マネーゲーム」に頼るしかありません。インフレ下では利率変動が激しく損得が大きく出るので金持ちが有利で貧富の差がさらに広がります。最近、ベネズエラで0が5つ取られるデノミがありましたが、当時のアルゼンチンも創業以来10年で0が13個取れました。会社の成績表である通常の財務諸表は全く理解不能で経営の役に立ちません。このあたりに興味のある方は別途、インフレ修正会計やUS$建会計(FASB52)を紹介します。

1990年はイタリアでサッカーW杯が開かれ、アルゼンチン代表が準優勝しました。ブラジルとの準決勝が平日の午後に放送されるに際し、私がどう対応するか悩んでいると現地幹部社員が「試合中の工場の操業は止め、社員食堂で受像機を増やして観戦する」「営業の受付・電話番は必要なし」と進言してくれました。その結果、従業員は満足し、試合中継の間、訪れる客は一人もおらず電話も1度も鳴らず、大通りは閑散とし、路線バスには運転手以外は誰も乗っていない状態でした。

勝利の後は、本社・営業所は閉店し、従業員を早退させました。何故なら、歓喜した群衆がクラクションをならし、渋滞する車のボンネットに乗りながら大通りを横断し、商店のウインドウを割り、商品を略奪するという暴動のパターンです。当時は経済破綻から立ち直っておらず、民衆は歓喜と不安を同時に爆発させたのです。

以上、日本では想像できない「不思議」です。(7期生 大橋三紀夫)

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