3月というのに寒の戻りの冷たい雨が降る夜でした。温かい食事を取ろうと入ったホテルのロビ―に雛人形が飾られていました。まるでその場所だけに春が訪れているみたい。吸い寄せられるように近づくと、段飾りの下には五人囃子の人形が筆を持ち和歌を詠んでいる様子が野の花と共に表現されていました。
解説の立て札を見ると『雛まつり「室礼~曲水の宴~」(室礼研究会 ゆずりは)』とあります。雛祭りは桃の節供、上巳の節供といって厄を祓って子どもの健やかな成長を願う行事。古くは3月初めの巳の日に青い草を踏み川に入って身体の穢れを祓い、酒を酌み交わしました。この「踏青」の儀式が中国から日本に伝わり「曲水の宴」へと発展したと記してありました。
「曲水の宴」は、細く曲がりくねった流れの水ほとりの岸辺に座り、上流から流れてくる杯が通りすぎないうちに詩歌を詠み、杯を取りあげて酒を飲むという行事。平安時代に朝廷や公家の間で盛んに行われたという事でした。日本の伝統行事の古からの意味を知り、表現するという室礼。旧暦の3月3日という事であれば現在では4月初旬になります。雛祭りに願いを込めて大切にお祝いしたい、と思っていた気持ちがこのお雛さまに引き合わせてくれたのでしょうか。
というのも今年は娘が無事に女の子を出産して迎える桃の初節句であったからです。
働きながら子育てする中で無理をしたのか予定日の3か月前、切迫早産の兆候があるため安静に、との主治医の指示で緊急事態、一家で我が家に転がり込んできました。2歳になる上の男の子を抱き上げることも禁止され、外出も極力控える、基本姿勢は寝ている事という入院さながらの事態でした。
そして寒い冬をじっと耐えて梅の花がほころぶように、予定日の3日前に珠のような女の子が生まれました。
薄紅色の世界が舞い降りてきました。そして我が家のお雛祭り。
「お雛様はどんなものが良いの?」
「お人形って怖くない?いいよ、何でも。どうせ毎年実家でお祝いするから。好きなもの選んでくれれば、ありがたいです!」
室礼にならって飾られたお雛様に涙するほどの親心が、ガラガラと崩れるような娘の大雑把な発言。一瞬にして現実に引き戻されました。
とは言え息子の方にも女の子が生まれ8か月、我が家の姫が二人揃いの初節句、4世代交流の祝い膳となりました。
4か月に及ぶ長逗留を終えて、まるで引っ越しのようにパンパンに荷物を詰めて、車に乗り込む娘一家。「ばーば」「ばーば」2歳になる上の子はすっかり甘えん坊になっていました。
「バイバイ晴ちゃん!またおいで!」わざと大きく振る手に風が冷たく感じます。
ひとりリビングに戻ると、残されたお雛様は桃色の光に包まれていました。(7期生 吉岡)
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