「学び」とは何か? いったいなぜ、学び続けるのか?
皆さんが、RSSC修了後もなお、学び続けていらっしゃるのは、このホームページに載っている読書会や研究会のお知らせから、容易に推測できます。
「学びの情熱尽きることなく」
これは、言うまでもなく、わがRSSCの標語であり、目標であり、また、教員や受講生たち全員が共有する基本的な姿勢でもあります。そして、RSSC修了後も、なお学び続けることを勧める言葉でもあります。
しかし、そもそも、「学び」とは何なのでしょうか。
何らかの新しい事柄や知識を身に付けるようとする営み、それが「学び」だとすれば、万国共通のように思えますが、実は日本は、個人を大切にする西欧とは、「学び」への基本姿勢が伝統的に違います。ご存知のように、日本語で「学ぶ」とは、「まねぶ」であり、「真似る」ことだというのが定説になっています。日本の学習現場では、個人やその違いを無視するというよりは、個人があることを認めていないのかもしれません。まずは、「真似」をさせる。それが「学び」であり、これに対応する言葉が、「教育」=「教え育てる」です。外から、上から、師匠から、知識や技能を生徒たちに示して身につけさせることです。
これに対して、英語の”learn"とはどういう意味なのか、英語の”education"とはどういう意味なのか。まず、英語の”learn”は、基本的にじぶんで問いを立て考え自ら学ぶ、ないし、自らに教える、他者にも教えうるような行為です。”learn”する者の主体性・独自性が反映される行為です。決して、外からの情報や先行例だけに頼らず、自己発見、自己啓発、自己涵養を探る意味合いが強い。そして、“education”とは「教育」ではありません。“education”の動詞形である“educe”とは、上や外から「知識」を教えて育てるという意味は全くなくて、むしろ、「潜在的なもの、内在するものを外に引き出す」という意味です。個々の違いを重視しますので、強いて言えば、日本語の「涵養」が近いでしょうか。
果たして、日本的な「学び」や「教育」と、西欧的な “learn”や“educationと、どちらがいいのでしょうか。正解は、中庸にあるのかもしれません。ただし、個人の尊重、自由への敬意は、共に無くてはならない最優先の条件です。
さて、では、RSSCの「学び」は、一体、どういうものだったのでしょうか。個々の差や、経験の違いがあるので、「ゼミ」という言葉を手掛かりに一般論として考えてみます。
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆★★☆☆☆立教大学セカンドステージ大学兼任講師
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆★★★★☆(7期専科ゼミ、日米比較講義、担当)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆★★★★☆立教大学名誉教授
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆★★★★☆フェリス女学院大学教授
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆★★★★☆渡辺信二(アメリカ文学、日米比較、創作)
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