今夏、私を乗せた全日空機は羽田空港から西南西に約1000km(1時間40分)の鹿児島空港に着陸した。空港は標高272mの高台にある。迎えの車で九州縦貫道に沿う県道56号線を走ること10分、車数台駐車できる展望台がある。眼下に蛇行する川、見慣れた町並みが拡がり、その先が錦江湾だ。鹿児島のシンボル桜島も見えてくる。懐かしい町に帰ってきたことを実感する風景だ。若い頃はお盆や正月、最近は冠婚葬祭や同窓会などで帰ってくる町である。
ここは昨年NHKの番組「にっぽん縦断こころ旅」で火野正平も自転車で走った鹿児島県本土中央部にある加治木という町である。人口は半世紀前から約23,000人と変わらない。江戸時代は街道の要や港、今は鉄道やバスなどの交通の便がよく鹿児島市のベッドタウンとして発展してきた。

この町に「天下の奇習」とも言われる「クモ合戦」がある。発祥は島津家第17代島津義弘であると伝えられる。関ケ原の戦いで見事な敵中突破で有名な島津義弘が、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、兵を元気づけるため陣中でクモを戦わせたのが起源とされている。その400年の歴史あるクモ合戦が、今年も6月第3日曜日に町の福祉センターで開催された。町の人口の1割近い1,800人が集まりその熱い戦いに視線を注ぎ歓声をあげていた。半世紀ぶりに見るクモ合戦だ。
戦わせるのはコガネクモの雌、体長は約20mmでクモの種類では大型の方で黄色と黒の横縞模様がある。クモは肉食性の小動物で2匹を近づけると攻撃を仕掛け合うという性質がありそれを戦いに利用する。出場者は県外の人もいるが、大会のひと月前に薩摩半島や大隅半島の南部で100匹前後を採集し、自宅の庭や小屋あるいは屋内で強いクモに飼育する。
大会当日はクモを網袋に待機させて戦いを待つ。子供の部と大人の部に分かれ、戦いの場は一段高いところにあり遠くからもよく見える。その戦場を見学者や関係者が取り囲み戦いを観戦する。クモの持ち主は最前列でその勝敗の行方を見守る。
高さ1.5mの竿の上端から水平に張り出された横棒が合戦の舞台である。横棒は長さ50cm太さ1cmの竹で「ひもし」と呼ばれる。横棒の先端に「かまえ」と呼ばれるクモを待機させる。両者が糸を棒に付けた後に裃と袴をつけた行司が「タッタッタ」と声をかけて仕掛けのクモを追い立てて開戦となる。勝負は噛みついたり、糸を絡めたり、棒から落としたりすることで決着がつく。戦いの様子を司会者が実況で伝えるので、勝負があった瞬間歓声と拍手が会場に響きわたる。勝者は素直に喜びを表わしガッツポーズする者もいる。クモの戦いでこれほどまでに熱が入り盛り上がるかと驚く。今年も優勝者コメントが新聞に掲載された。地方紙も毎年取り上げる伝統の行事である。

今年はこの時期に中学の同窓会あった。同窓会は卒業生の約3割90名が集まった。中には50年ぶりという人もいた。同窓生の一人はクモ合戦の行司をしていた。
遠いようで近い、近いようで遠い町。いつもの展望台から心に刻まれる懐かしい風景を見るのは次はいつになるのかな。人にはそれぞれ心に刻まれた風景があるだろうななどと考えながら、羽田空港行きの全日空機に乗り鹿児島空港を後にした。(7期 榎本)

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