東北震災支援プロジェクト「公開講演会」の報告

2012年に東日本大震災の壮絶な被災体験をお話しくださった小野寺敬子さん(気仙沼市)が当時の悲劇の体験を次世代に伝えていきたいと、共に暮らしていた地区の皆さんに聞き取りを重ね、遺族会としての記録誌『永遠に 杉の下の記憶』を5月に出版された。この度の「公開講演会」は記録誌とりまとめのご苦労や、震災から5年を経過しての現状や防災等についてもお話しいただく機会とした。

1.日 時   平成28年6月3日(金) 14時~16時        記録誌

2.会 場   セントポールズ会館 芙蓉

3.主 催   立教セカンドステージ大学同窓会

         「東北震災支援プロジェクト」

4.共 催   「ウイメンズクラブ」、「二期の会」、

         「異文化研究会」

5.出席者   33名

 

 

講演会に先立ち、二期生が中心となって支援活動した5年間の記録を御守さん(東北震災支援プロジェクト)が「東日本大震災から5年 震災支援を振り返る」と題してDVDににまとめてくださり、25分間放映した。

P1140349-S小野寺さんはご自身も父親を亡くされているが、気仙沼市の杉の下地区は住民の3割に当たる93人が犠牲になったとのこと。記録誌はA4判176ページで主に震災当日の体験が綴られている。写真はどの家も皆流されてしまったが、彼方此方捜し求めて何とか100枚余載せることができた。「あの日のことも、もう帰れない杉ノ下集落のことも忘れたくない」との一途な思いと「災害への教訓・啓蒙」「風化防止」「防災」の一助になればとも考えたそうである。

小野寺さんは最初は自分の子どもたちのために何か残しておきたいと聞き取りを始めたが、避難所等で地震や津波の恐怖、避難の様子などを話しているのを見聞きし、この体験は書き残しておいた方がよいのではと遺族会を通じて協力を呼び掛けた。                            

当初聞き取りに応じた遺族は10人ほどで「まだまだ辛い」という方が多かったそうである。小野寺さんは途中大病を患い、聞き取りを一時中断せざるを得ず一度は記録誌作成を諦めようと思ったようであるが、時間の経過と共に次第に協力者が増え、遺族約20人を含む61人の証言や手記が集まりホッとしたとのこと。聞き取りでは共に涙でなかなか進まず、また仕事や家事が終わってからの原稿起こしも大変であったが、「杉の下地区は災害危険区域に指定されてもう二度と住むことはできないし、住民は皆内陸部方面に移っていったが、故郷への思いや震災で何が起きたかを残せて本当に良かった」と静かに話された。
避難所での体験、狭い仮設住宅での暮らし、住宅再建への思い、メディアのこと等5年間のご苦労は都会で暮らす我々には計り知れないものがお有りだったと思うが、小野寺さんは「正直落ち込んだ日々もあったが、何でも前向きに捉える様にしたら気持ちも楽になり、今とても楽しいと思えるようになった」と笑顔で言われた。

 

P1140346-S最後に防災のことについて、「わが身を守ることができるのは自分自身です。大雨の後など河川の傍では何時氾濫するか分からない、今地震が起きたらどう逃げるか信号待ちをしている時にも考える癖がついた。地下だと逃げ道が分からないが、JRだと外が分かるので、遠出をする時はJRを利用するようにしている。そしてバックの中には何時も飴が3個とコンタクトレンズの替え、二日分位の薬を常備している、これは経験した人でないと分からないことかもしれない。地震だけでなく大雨だったり洪水だったりまた最近は変な事件も多いが、自分の危険は自分で察知して自分の身を守るようにしたい。自分自身は30年以内に宮城県沖地震が99%起きると言われていたので、貴重品は全部2階に上げ、家族の食料も1週間分備蓄していたが家ごと全部流されてしまった・・・今はせめて二日自分だけが生き残れる何かを持ち歩くか準備しておいた方がよいのではと考えています」と被災者ならではのメッセージを伝えてくださった講演会となった。