旅の人生からの創造力
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆栗田 和明
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆立教大学文学部教授
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆2014-15年度RSSC本科ゼミ担当教員
☆旅をしつつ人生を送る人びとは、たとえば歌人・俳人、種々の芸能者、山で作業する職人集団(木挽き、炭焼き、製鉄など)など私たちの回りに多数いたはずである。もっと大きく長くみれば、牧畜民や採集狩猟民があてはまるだろう。住居を定め、固定した働き場所を持っている会社員や農民がしだいに社会の多数を占めるようになってくると、定住する者からは移動する者の生活が理解出来なくなってくる。マクロにいえば、これが、農耕や都市居住の人が採集狩猟や牧畜の生活を見る場合の視点だろう。
☆ところが現代社会の一つの典型ともいえるアメリカ合衆国では人の移動の頻度はとても高い。日本でも、生まれ育った地から一生離れない人は現在では稀だ。大学進学、就職、転勤、そして退職は居住地を変える大きな機会になっている。これに加えて、旅行・観光・巡礼という活動が活発になってきた。こうした移動の機会は、時代が下るにしたがってより頻繁になってきたように感じる。日本を出国する人の数、日本に入国する人の数、そして外国人と結婚する数などは、多少の変動はありつつも基本的には増加している。つまり、移動する生活は採集狩猟の時代から次第にマイナーになりつつあったが、現代社会になってふたたびメジャーな様態になりつつあるのではないか。
☆と夢想しつつ、2016年の3月にマレーシアのペナン島を訪問する機会があった。ペナン島はリゾート地として有名であるが、残念ながら私はリゾートで楽しむ余裕もなく、大学での会議に拘束されていた。ペナン島はマレー半島の西側に寄り添って位置する島で、華人、マレー人、インド人、そしてアルメニア人やイギリス人がそれぞれ訪問して通商をすすめた。マレー半島のもう少し南にはマラッカ、その南にはシンガポールがあり、時代をずらしつつも地理上の利点を活かして栄えていった。
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☆ペナン島にはキップリング(イギリスのノーベル賞作家)が滞在していた。私はインドのシムラーで、キップリングの足跡と邂逅したことがある。シムラーは大きく見ればヒマラヤの麓のようなところでイギリス植民地時代の避暑地である。
☆☆☆☆・シムラー訪問についてはここを参照
☆涼しいシムラーで出会ったキップリングに、3月の気温が32度もあるペナン島でも出会ったのである。サマセット・モーム(イギリスの小説家、諜報部員)は旅することが仕事のような人であったので、各地に足跡を見つけることができる。このあたりでは、ペナン島、クアラルンプール、シンガポール、バンコクである。アルメニア人のサーキーズ兄弟がペナン島におこしたイースタン・アンド・オリエンタル・ホテル、シンガポールにおこしたラッフルズ・ホテルの両方にキップリングもサマセット・モームも宿泊している。ペナン島の方にはヘルマン・ヘッセや林芙美子も泊まっている。親しい名前の先人の足跡に、意外なところで出会うとさらに親しみがわく。私は本文に出てくる地名の所はすべて訪問したが、彼らとは同じホテルではなく、2つくらい星が少ないところであった。
☆旅の中で創作をすすめた作家をたどってみると、一つの疑問がわく。彼らはその創造力が横溢して突き動かされ、一ヵ所に留まれずに旅に出たのであろうか。あるいは旅をしたゆえに創造力が涵養されたのであろうか。創造力欠乏に陥った場合は、自発的には旅に出る気力がないかもしれない。しかし、あえて旅に出て、創造力が興ってくるのをしばらく待つのも一法であろう。興ってくる保証はまったくないのであるが、それでも異境を楽しみ故郷を偲ぶことができる、と私は期待している。
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