相次ぐ台風災害の脅威を目の当たりにして、改めて日本が島国であることを意識する。法令等に準拠した国土地理院の試算(2023年公表)によれば、周囲長0.1km以上の海岸線で囲われた陸地からなる「島」は14,125島を数える。海洋法に関する国際連合条約では、「島とは、自然に形成された陸地で、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう」と規定される。また「大陸」との比較で捉えられる概念でもある。世界的にみればオーストラリア大陸より小さな陸地を「島」と呼ぶのが一般的である。「本州」は、世界第7位の大きさの島である。

旧盆明けの8月中旬、玄界灘に浮かぶ長崎県の壱岐島を訪れた。博多港からフェリーでわずか2時間の距離にある離島は、至近の大都市福岡市とは全く異なる風土に溢れていた。「澄み切った海にウニや新鮮な魚介類、壱岐牛などの豊富なグルメ。島内には150以上の神社があり島全体がパワースポット」(壱岐市観光連盟)という離島の夏を謳歌した。

壱岐での愉しみは、プロの釣り師であるRさんと海女のパートナーが営むMゲストハウス滞在と、療養規定値約15倍の高濃度温泉で1700年の歴史を有する湯本温泉に浸ることにあった。

なぜ離島に惹かれたのだろう?多かれ少なかれ日常からの離脱であり、独りの時間をたっぷりと享受できるはずであった。ところがゲストハウスで過ごした多くの時間は真逆の体験で、見知らぬ人びととの快い交流が生まれた。そこでの関係性の発見は驚きの連続であった。19時から一斉に始まった夕食が発見を可能にした。長い一つのテーブルを宿泊者みんなが囲み、大皿に盛られた手の込んだ料理の数々を取り分けていく流儀は、つい最近博多の某著名フランス料理店のオーナーシェフが試験導入した「タブル・ドット」式ディナーを体現するものである。

その夜限りの大家族が誕生する。食欲をそそる料理が載った大皿を手渡し、手渡されるうちに自然と話は弾む。すると集まった人びとの間には、何がしかの繋がりがあることが明らかになっていった。お子さん連れのご夫婦はお隣の藤沢市に住む大学の後輩であった。九州の菓子に話が及んだとき、私が子供の頃より親しむ老舗和菓子店本家の長女が、福岡出身の奥様の私立女子中高時代の学友であることも判明した。菓子の話題は、故郷の菓子文化が長崎街道「シュガーロード」の構成要素の一つと言及したことからの展開だった。室町時代末頃から西洋や中国から長崎を経由して流入した砂糖は菓子との関わりが深く、個性ある菓子文化が開花した。昭和30年代に終焉を迎えた故郷筑豊地方の石炭産業を担った炭坑夫にとって、酒と共に甘い菓子が労働の辛苦を和らげる貴重な食物であったことは当然だ。

夏の間宿の手伝いをしているというM君は、H大学社会学部の1年生でHゼミへの所属が決まったという。ゼミを率いるH先生は私も所属する環境社会学会の要職を務める方で、教えを請うたこともある敬愛する社会学者のひとりである。先生の下で最新の社会学を学ぶであろうM君が眩しかった。右隣りにひとり座った若者は宿の常連らしかった。機械商社に勤務しているといい、別府市にある国際的な著名大学時代の生活を、面白おかしく語ってくれた。知人のご子息が、同時期に同じ大学に通っていたことを思い出し、ふたりはきっとどこかで出会っていたろうなどと勝手に想像した。そして何より驚いたのは、先の知人の娘夫婦が宿のオーナーRさんとは旧知の間柄で、ゲストハウスの立ち上げ時に手を貸したという関係を知ったことである。

探れば探るほど、ポロポロと関係性が顕在化するのだった。こうして気がつけば、独りの離島の旅は自分が構築した関係性を確認する旅へと帰着した。

閑話休題。悪天候に備えて、また起伏の多い島内をくまなく回るため自動車をレンタルした。返却場所は船着場ではなく、5kmほど離れたガソリンスタンドである。返却次第そこから船着場まで送ってもらうハズだったが、送迎担当者が不在のため私には別の乗用車があてがわれ、港まで運転するように告げられた。共用駐車場に止め車の鍵をドアサイドのポケットに入れたまま放置してよいとの説明。なるほど離島であるからフェリーに積載しないと車は島を脱出できない。盗難は滅多に起こらないのだろうと納得した。

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