ハンセン病という病気は、らい菌の感染によっておこる慢性の感染症で、皮膚とともに末梢神経がおかされる。過去、国がハンセン病患者に行った隔離政策が社会的弱者を助長し偏見・差別が行われたそうだ。

新聞で知り、先々月中央線東中野駅前に足を運んだ。それは熊谷博子監督のドキュメンタリー映画「かずゑ的」ポレポレ東中野という小さな映画館で見た。「かずゑ的」は、瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所、長島愛生園で長年暮らしてきた、ハンセン病の元患者宮崎かずゑさんを追った映画だった。

かずえさんは、10歳で入所してから約80年間、この長島で生きてきた。病気の影響で手の指や足を切断し、視力もほとんど残っていないにもかかわらず、買い物や料理など、周囲の手を借りながらも自分で行う。彼女は「本当のらい患者の感情、飾っていない患者生活を残したいんです。らいだけに負けてなんかいませんよ」と力強く語るのです。

患者同士のいじめに遭い、つらかった子ども時代もあったが、家族の愛情とたくさんの愛読書が絶望の淵から彼女を引き上げてくれた。そして夫の孝行さんと出会い、海沿いの夫婦寮で自然と共に暮らしてきた。かずえさんはいつも新しいことに挑戦しており、小柄で好奇心旺盛で少女のように若々しい。78歳のときにパソコンを覚え、84歳になって初の著作となる『長い道』を出版した。続いて『私は一本の木』という続編も出版した。彼女の類まれなる表現力で日常を瑞々しく綴り版を重ねています。

90代半ばになった今でも、「できるんよ、やろうと思えば」と語ります。映画を見終えて清々しささえ感じながら映画館を出た。生きるということはどういうことかを問い直させてくれる。

映画館で買った『長い道』を一気に読み終えて、改めて人間にとって普遍的なことを語るものだと思った。日常を語るかずゑさんの言葉のひとつひとつが丁寧で深く、余韻が残る。

4月下旬九州の姉が庭で転倒し、腰椎の圧迫骨折で入院した。ひと月以上天井を見たままの生活が続きめげていた。落ち込んでいた姉に、かずゑさんの本を送付した。「こういう人がいるんだ、めげずに頑張る」というメッセージで、小さな励ましにもなった。今月初旬2か月半の入院生活でリハビリなどの効果もあり、無事自分の足で歩いて退院することができた。

古希を過ぎると生き方を自問することがあるが、かずゑさんから「まだあなたは古希よ」と言われているような気さえする。

今年3月公開のこの映画は日本国中の小さな映画館での上映はほぼ終了した。関東地区のいくつかの映画館で上映しているようだが、元気を貰える映画だと思った。(7期生 榎本)

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