「娘家族が春から夫の転勤で離島に行くことになった」と姉から連絡あったのは2年前の新春だった。鹿児島県内の教師は離島への赴任ノルマがあり、その島は生活環境が厳しいので最低3年が条件だそうだ。鹿児島出身の私もそんな島あったかな?と初耳だったので早速調べてみた。
その島は黒島といい他の黒島と区別するために薩摩黒島(右写真)とも呼ばれる、鹿児島県鹿児島郡三島村の一つだった。面積15.37km2、人口176人(R5.7.1現在)の島へは三島村所有のフェリーでしか行くことができず、片道5時間、週4便、出航は天候により当日決まるという。「その島行ってみたいなぁ」と漫然と思っていたら、コロナ規制が緩和される今年5月に延び延びだった高校のクラス会が開催されることになり島に行けるチャンスがやってきた。
現地の民宿が確保できず、姪っ子宅宿泊可能人員から、5月下旬義兄と二人で鹿児島港発のフェリーみしまに乗り込んだ。170人乗りの船は乗客20人程度の貸し切り状態だった。空気は澄み、船上からは桜島、薩摩富士と呼ばれる開聞岳が見えて、海は青くトビウオが宙を飛び、海風も心地よかった。波も穏やかな航海日和だった。
鹿児島港を出て3時間、最初に寄港したのが竹島、次が海底温泉水で真っ茶色の港の薩摩硫黄島だった。入港するとジャンベ(太鼓)とダンスで賑やかな歓迎をしてくれた。そして目的の黒島大里港に到着し、迎車で急斜面を上ったところにある家に到着した。島は平坦な所がなく隣の家ですら段差があった。移動には車が欠かせず昔は牛だったという。
家族4人に我々含めて6人での賑やかな夕食を終え蛍狩りに行った。車で5~6分走った山の中腹で蛍10数匹を見て童心に帰り、子供たちと大はしゃぎした。狭い官舎だったが、川の字に寝るキャンプ気分の楽しい一夜だった。
翌日は早朝に出掛けた釣りキチの義兄の後を追い、釣りをしていたら台風の影響で帰りのフェリーが前倒し運航になったという。そのため引率で行く予定だった本土への修学旅行も延期になったという。日常茶飯事の変更に従い釣りも早々に切り上げた。それでも口髭のあるスズキ科のおじさん(右写真)など15~16匹の釣果だった。
朝散歩しながら採ったという山菜や釣った魚、庭に生える大名竹など都会では味わえない新鮮で贅沢な昼食だった。密な人間関係にも慣れ不自由な生活を楽しんでいる様子や、素朴な島の子供たちと過ごすのは楽しく、3年超えても勤務したいなど本音も聞けた。ただ家族の食材を確保するだけでも一苦労で、長期保存食が頼りだというのも事実だった。
昼食後は展望台や、歴史ある木造の学校を見学に行った。学校は三島大里学園といい全校(1~9年生)生徒20名程度で一人だけの学年もあるそうだ。学校は貴重な平坦地にあり自然災害時は唯一の避難場所になっているという。教室では日曜日にも関わらず先生とそのお子さんが勉強していたのも離島ならではの光景だと思った。
旅行後、友人から紹介された唯一薩摩黒島を舞台にした小説、有吉佐和子著「私は忘れない」を読んだ。映画化もされたというその中心人物で東京から黒島に行った女優門万里子の体験を少し理解できた。便利すぎる都会とは両極端のコンビニ、スーパー、商店、飲食店等はなく自動販売機が一台あるだけという不便な島で、自然と生きるには、家族のあり方とは、地域の助け合いとは、など人間の生き方を考えさせられる旅だった。(7期生 榎本)
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