書きたいのに書けない。自分に向き合ってみるがうまく外に出せなくて、四旬節の間を悶々と過ごした。きのうやっと700字まで進められたが、ちがうと思って棄ててしまった。それが、今朝ビオラの花殻を摘んでいたら、ふっと抜けられた。私がいいと思った人の話をします。
エティ・ヒレスム(中段写真左)。年末にオンラインで森一弘司教から聞くまで名前も知らなかった。アウシュビッツで殺されたオランダのユダヤ人女性。「(手記の一部を抜粋)最期の瞬間になっても、自分の掃除機や銀の食器を安全な場所にかくまう人々がいる。自分の肉体だけを救いたい人々がいる。肉体など、もう数々の不安や鬱憤の住まいでしかなくなっているというのに」。もっと爆弾発言もあり、彼女の言葉をよく思いめぐらせている。
ギャスパー・ウリエル(中段写真中)。フランスの俳優で、一年ほど前にスキー事故ではかなく逝ってしまった。地味な傑作「たかが世界の終わり」の主人公ルイのように。余命わずかと知って離れたきりの家族に会いに来たけれど、意味のある言葉がどうしても何一つ言えなかったという話。彼は端正できれいな顔だが、頬に幼いころにドーベルマンに咬まれたという傷痕がある。自分の死はまさに世界の終わり、人からは「たかが」に見えたって。
それで思い出したデビッド・ボウイ(中段写真右)。数年前、五反田の展示会に行った時、アップの写真で、殴られたせいで片目の瞳孔が開きっ放しになった顔なのだと知った。入口には等身大の写真があって、「Happy Birthday!」という声が流れていた。「僕はここで毎日言うよ。そうしたらいつか君の誕生日に当たるよね」。
ナワリヌイ(下段左)。この名を出すのはリスキーなのか? 海外ドラマ「Killing Eve」の最終章を観るために短期契約したWOWOWプライムでたまたまこの人のドキュメンタリー映画を観た。あの眼が忘れられない。絶望とかすかな希望。この映像は私の死のニュースといっしょに流されるのかい? これを観たあなたは何をするの? この人のことは故人と見なしていない。
大江健三郎(下段中)。講演会に二回行ったことがある。憲法記念日に近くの市民センターと、作家同士の対談で新宿の書店に。自分は戦後民主主義の申し子で日本国憲法のおかげで教育を受けられ道が開けたと明るい声で語っていた。晩年は、「もう老耄なので家内とも話し、人前には出ない」と語っていたと、追悼記事の一つで読んだ。そういう沈黙もいいと思った。奥さんを立てているのがさらにいい。すでに多くの言葉を遺している。それを手に取ってもらえるかが問題。確かに文章は読みにくかった。この人が一番尊いのは、自分の足元から語った、家族と世界を守ろうとしたところだと思っている。「日常生活の冒険」は好きだった。人柄が信じられる気がするから、これからもっと読んでいきたい。
先述した「たかが世界の終わり」でも、言葉の伝わらなさがテーマだった。でも、行動が語っていたのではないか、大江健三郎のように。テーブルの上のチキンやナプキンみたいなどうでもいいような会話をして映画は終わったけれど、死ぬ前に帰ってきてくれたことを知ったら家族は泣いただろう。
中村勘三郎(下段右)。鼠小僧を演じ、「誰かが自分のことをずっと見てくれている。そう思わなきゃ生きていけねえ!」と、今月のシネマ歌舞伎、2010年の建て替え時に作られた「わが心の歌舞伎座」の中で叫んでいた。この会での初めてのエッセーで、「阿弖流為」のことを書いたのだった。あれから6年。映画ばかりで未だ歌舞伎座で観たことがない。
漫画「天上の虹」で読んだ、柿本人麻呂の挽歌は素晴らしかった。私はせめて綺羅星たちの名を呼んで、偉業を讃えたいと思った。(7期生 安孫子)
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