Ⅰ ひーとの出会に癒しを求め #2016/11~2019/11
7年前の木の葉が落ち始める頃、私たちは、ひーを家族の一員として迎えた。前の愛犬が亡くなった3か月後であった。別れも昨年の秋(2022/11末)である。今は、庭の梅の根元で安らかに眠っている。ひーは、殺処分寸前で保護された。保護団体(A獣医)から健康状態は、飢餓状態とアレルギーがあり、推定は5歳くらいであると説明を受けた。譲渡条件の里親については、息子との連携と途中放棄の禁止等で、保護犬の安全な生活を保障する内容であった。引き継事項は、3~4日毎のシャンプーとアレルギー食と噛みつきがある。飼い始めるとよく食べたが、遊ぶことは少なかった。散歩は好きで、リードをくわえて催促するなどの可愛い仕草を見せることもあった。シャンプーは、噛みつき癖があったため2週間に1回程度しかできなかった。
Ⅱ 共生生活のネック #2016/11~2021/11
私は、噛みつきの癖を治すのに専門家のアドバイスを参考にしたが、一人では限界があり、家族の協力で切り抜けられた。日常生活では、子供に慣れさせる為、孫の登校時に同伴させた。噛みつくことはなかった。そのうち別の問題が出てきた。散歩中に発作を起こしたり、歩かなくなってきた。シャンプー時の噛みつきは、少なくなったが、皮膚から出血するようになった。前の犬の主治医B獣医を受診した。そこでは、シャンプーが禁止された。
Ⅲ ひーの不明な病気との闘い (セカンドオピニオン) #2021/12~2022/11
ひーの皮膚が悪化してきたので(近隣のC獣医)に転院、そこでの頻回の薬液シャンプーの治療で皮膚はよくなった。しかし、ひーとC獣医との相性が悪くなり中断する。その後も発作や歩けなくなる症状の改善が見られず、さらに(ネット検索でD獣医)を受診する。てんかん・心臓病・肝臓病等で内服治療を開始する。様々な検査治療も効果が出なかった。D獣医は、彼女の年齢は15歳くらいであると診断する。高齢と費用を考え対症療法で経過をみた。2022年の春頃から全身状態が悪化し、全く動けなくなった。終末医療専門医を探すが、彼女への負担を考えて自宅での緩和療法に集中した。
Ⅳ ひーのことがわかった? #2021/12~2022/11
ひーは、保護前の体験がトラウマとなっていた。飼い主や関わってくれる大人に対する警戒心が強かった。不安や恐怖が解消されることを望んでいると思った。彼女は、全く歩けなくなって私たちに身を任せるようになった。快不快を伝える術を身に着け、私達に知らせるので介護しやすくなった。この時期は、まるで新生児のように可愛く、何でもしてあげようと思った。例えば、そばに寄り添い抱いて寝かせつける、湯たんぽ等の保温や紙おむつを嫌がるのでペットシートと沐浴で対応した。その頃、私は、一日3時間以上の外出や習い事の回数を減らし、彼女に行動を合わせるようになっていた。
Ⅴ 介護を通して自らの老後生活へとシフト
介護費用は、自分の老後生活の費用も考えて、払える額に抑えた。私が融通できる時間枠の確保に重点を置いた。私は、余裕をもった予定を立てたが、上手くいかないことが幾度となくあり、彼女に怒りをぶつけ、当たることがあった。酷いことをしたと反省し、心身のコントロールに努めた。彼女の生きようとする姿勢は、最後まで食事をしっかりとり、摘便で排泄をするようになっていた。終末の頃、関わってくれる獣医や美容師の前で身体を動かし「まだ動けるよ」と訴える姿にいじらしさを感じた。私は、当初、彼女に癒しを求めていたが、それ以上に生き方の方向性を学んでいた。彼女と過ごした日々の行動を受けとめ、自分のものへとシフトしていた。(7期生 清水花子)
*写真/ひー:シーズー犬(雌) 11歳当時
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