コロナパンデミックになって以来、旅行は久しく行っていない。たぶん都県境を超えたのも、この3年間で数回かもしれない。

2月末、大阪に用事が出来たので久しぶりの旅行となった。大阪での用を済まるだけで帰って来るのはいささかさみしいと思い、ちょっと足を延ばして城崎温泉に行って見ようと思いついた。城崎温泉。今まで行ったことはなかったが、もちろん小説で名前は有名だが、さてどんな処か。朝10時12分大阪発城崎温泉行き、特急「こうのとり5号」に乗り込んだ。福知山線と山陰本線を乗り継ぐ形で、おおむね京都府と兵庫県の県境付近をほぼ北上し、日本海に至るという鉄路だ。尼崎、宝塚などの市街地を抜けると、列車は山の中に入って行く。

本を読んだり、窓の外を眺めたり、早春の日差しがまぶしい。何という川か知らないが渓流が右に左に移動する。篠山口という駅に着いた。丹波の黒豆で有名な丹波篠山と言われている地方で。以前大阪に住んでいたころ大地震(「阪神淡路大震災」)に遭遇し、その復興疲れの息抜きにと知り合い数人で此処に牡丹鍋を食べに来たことがあった。列車は福知山に到着。北近畿タンゴ鉄道宮福線という天橋立方面に行く列車が同じホームにほぼ同時に到着。こちらとむこうの列車を互いに乗り換える旅行客数人。福知山は明智光秀が築いた城下町。列車の車掌が右手に天守閣が見えますとアナウンスしてくれた。道中、高い山脈はほとんどないが、それでも篠山盆地、福知山盆地、などなど山の中。トンネルをいくつも抜ける。「~いくのの道の遠ければまだふみもみず天橋立」と歌われた丹後山地の大江山も標高わずか833m。低山ではあるが四方が山に囲まれているのが、まさに盆地だなあと、当たり前なことに感心してみる。

さて、今乗っている列車は「こうのとり5号」だが、なぜ「こうのとり」か。目的地の城崎は現在豊岡市となっているが、ここ豊岡はコウノトリの繁殖に力を入れている。かつて日本海に注ぐ丸山川や豊岡盆地などでコウノトリは普通に生息していたが、戦時中彼らの営巣場所だった松が伐採され、また戦後の乱開発により彼らの居場所がなくなり1971年絶滅。ここ豊岡が日本での「コウノトリ最後の生息地」になってしまった。その後、人々の努力によって人口的な繁殖に成功し、いまではその数が徐々に増えてきているという。

列車は12時51分に城崎温泉駅に無事到着。
むかし、傷ついたコウノトリが羽を休めており、飛び立った後に行ってみたら温泉が湧いていたという伝説もあるようで、温泉宿の歴史は奈良時代にも及ぶ。温泉街は、一級河川円山川に合流する水路のような大谿(おおたに)川沿いに形成され、数十メートルおきに小さな橋が架かっており、川の両側に「温泉外湯巡り」という7つの外湯や、旅館、土産物屋、飲食店などが軒を争っている。

志賀直哉が山手線にはねられてその養生のため3週間ほどここに滞在したと言うが、小説が醸す鄙びた風情より、どちらかというと若い女性に人気がありそうなかなり今風な街並。100年前の此の地で、“小説の神様”は療養のかたわら飛翔するコウノトリを眺めながら名作「城崎にて」を執筆したのだろうか。(7期生 佐野英二)

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